10月23日(水)どーせ1度の人生ならば。

 快晴!12℃~25℃、48%。素晴らしい秋晴れで、真っ白な富士山がよく見えました。

久しぶりに日本橋方面に進出し、そば吉で月見そばを食べた後、みちゅこし、たかしまやで美術鑑賞。作家が控えててイロエロ説明してくれるからおもすろい♪

 

 決心してPCの再インストールを行う。手順をすっかり忘れているので、手探りで進めるも一応立ち上がる。アドレス帳が消えてしもたのが少し残念ですが、OUTLOOK一応復元す。IEはお気に入りの並びがバラバラに(いやちゃんとソートされた?)なってもうたから、自分のお気に入りに並べなおす。一応素晴らしく早くなったから、まっ、いいか♪

 

 夢かうつつか幻か?

 VR(ヴァーチャル・リアリティ)やAR(オーギュメンテッド・リアリティ)が精緻化してくると、モノホンとニセモノの区別が付けがたくなり、我らの現実感覚も揺さぶられます。

 現実の中に仮想をシームレスに接続する技術をARといって、AR眼鏡を掛けて実物を見ると実物がイロエロと変貌して感じれます。例えば、ソーメンの上にパスタを挿入すると、実際にパスタを食べてる感じがします。ご飯の上にカレーをかぶせると、カレー丼のようになるし、イメージのかば焼きを乗せるとうな丼を食べてるように感じるんだと。人間は舌と匂いと脳で味を感じていることが分かります。

 これは「知覚のリアリティに応じて価値体系や意味が変化する」ことを示唆します。アイデンティティが思い込みだとすれば、多重人格や催眠でのアイデンティティの変化も理解できます。自分が何者だと思うかで、パフォーマンスも変化します。人間は立場や役割であーる、つう極論もあります。自分を単一のアイデンティティに閉じ込めることは、生き方の幅を自ら狭めているのかも?カナ?