2月13日(土)魚上氷。読むにもイロエロとありまふ。

 今日も白っぽい晴れ。4.9℃~16.2℃、50%。6000歩。昼間は暖か。湾岸にコスプレ少女の密度が濃いと思てたら、騎士Aライブなんてイベントをやってました。流行っているんかな?

 

 本を読むとは:

 これは極端に言ってしまえば、本を出版したとたんに本は著者の手を離れてしまうということですね。即ち読み方は読者次第なんすよ。著者が何といっても読者次第です。こりはガチ!

 読者たちは同じものを読んでいるのか?つうとテキストは同じでも読み方(解釈?)は千差万別なんすね。同じ本を異なった解釈で読んでいると言えるでしょう。即ちテキストの解釈は読者側にあるです。

 本を読むときに自分と違う解釈を「読めてない!」と詰るのは狭量です。分かっているとは何か?それは主観です。自分はこう読んだと等価です。つまり正解は無いというか、いくらでもあるというか。時には著者でさえ正解ではあーりまへん。ゾヨゾヨ

 村上ワールドを著者が作っていると思てもですね、実は読者がそれぞれ作ってるんですぅ。その人ワールドという自分の世界を著者に仮託して作ってるんすね。でも整合性が無くてはならんから、その著者の書いた本をできるだけたくさん読んで、その中で自分ワールドをうまく位置づけなくてはなりません。

 そーすると上手く自分の世界に浸れます。思い込みと言われればそーかも知れません。すかす、そーした読み方しかできないのが人間という者なんすね。アハハ

 んんん?ま、こりは本の性質により自分流の度合いが違うのも確かでしょう。科学の解説書やビジネス書と文学・小説はたまた哲学書ではこの順に読者の思い込み濃度は大きくなってきます。特に哲学では「読めてる読めてない論争」が盛んですが、勝手にやってなさいっ。みんな読めててみんなイイ!どもども。