8月1日(土)葉月。大雨時行(時々夕立がある頃)。さあ夏だっ!海山に行きたいなぁ♪

 青い空白い雲もくもくの初晴れ、夕方少し雲出る。22℃~32℃、60%。真夏日

 都新規検査陽性確認数は連日500人に迫る勢い。何とか千を超えないでがむばってほすいのだ。千を超えたら月に3万人超だから医療は崩壊します。

 おお!お相撲がおもすろくなってまいりましたあああ!

 

 役に立つとは:

 役に立つことを広く捉えれば、人のためになることなんであーる。しかし、生物としての人間にしぼれば、それは食べるものを作ったり獲ったりすることかな?もう少しそれを拡げれば食べ物を運んだり保管したり配ったりする活動も含まれます。さらに広げれば、それらの活動を管理したり仕組みを作ったり道具を作ったりするのも含まれるかもしれません。このように社会では一つの活動が連鎖的かつ有機的に組み合わされて行きますから、飲食店を閉じるだけと単純には考えられません。その先の配送とか生産者までずーっと関連してくるからです。

 一方、人間は単なる動物ではありませんから、食べるだけでは生きていけません。何か夢中になるものがないと世界がすぐに色彩を失って灰色の世界になります。でもそのために人間はどんなことにも興味を持てるように作られています。囲碁や将棋に一生を賭ける人や、魚大好きで人生を送ったり、スポーツの一分野であるボールゲームの中のベースボールという競技の中の生涯一捕手として人生を送る人もおります。路傍の雑草を研究して一生を終える人やホームレスの人を支援することに一生をかけたりもします。たまには人里離れた庵の中で雀を相手に生涯を終える人もいるかもしれません。人の生き方や生き甲斐を渉猟すれば切りがありません。

 つまり生き方というのは心の持ち方次第と言う事も出来ます。それに従って、人の役に立つということも千差万別なんすね。赤ちゃんとか老親などは、だたそこにいてくれるだけで、家族にとっては役に立っている(生きがいとなっている)ということも言えるでしょう。勿論病気の人や障害のある人も例外ではありません。だた居るだけで生きているだけで、そのまんま人の役に立っているんですぅ。

 そもそもこの世界に究極の意味なんてないんですから、せめて生きてるすべてのものと共存して今ここを心から味わえる人になりたいものです。(玉虫の「コロナ下で制限された生活に色どりを」より)