7月28日(火)知識偏重に物申す。

 今日も曇り、ときおり陽射し、たまにぱらぱら。24℃~31℃、70%。完璧望んでも仕方ないから、自分で勝手に梅雨明け宣言♪梅雨が明けたって夕立はあるし雷だって鳴りまふ。

 

 知識偏重の風潮とは:

 ビーテレが落ち目のふんどしになってくると、流行るものの一つにクイズ番組があります。人よりも早く正確に正解を答えれる者が優勝します。番組が安易に安く作れるところが魅力なのかな?散歩、旅番組と料理、グルメ番組とで御三家を構成しておりまふ。あっ、それにクイズ番組は特に流れを気にしないからCMを入れやすいつうこともあるのかな?最近やたらと番宣が増えたのも気になります。スポンサーの番組提供が減ってるからかな?

 ともあれクイズ番組は、世の中には必ず正解があるという幻を振りまくことには貢献しております。これも偏に偏差値社会の影響でしょうか。人間社会の実態は、正解なんてのは滅多に無いし、あったとしてもローカルで一時的な正解にすぎません。知識の量と、考え方ややり方のどちらが大切かっ?ちゅうと、これは比較する問題ではなくして、どちらも大切であるとしか言えまへん。

 その中においてどちらがより根源的かを問うならば、そこはやっぱし方法論(考え方ややり方)と言わざるを得ませんね。特に近年はPC,スマフォの普及する中において知識の取得が比較的容易になったから、全てを覚えておく必要性が薄れてきました。(とは言え重要なことはできるだけ覚えておいた方が、脳内での連想作業が容易になりまふが。)

 ここで一つの比較事項があって、昔の偉人(例えばアルキメデス)と現代の中学生の科学的知識量を較べてみると、それはもう中坊の方が断然知識が多いですよね。地球が丸いとか生物は進化するとか知ってんですから。でもその考え方はやはしアルキメデスの方が凄いと思うでしょ?何しろ梃の原理とか比重の原理とかをゼロから思いついたんですから。ヘウレーカ!

 だいぶ前に書いたことですが、なぜ古代ギリシャに文明が勃興したかの話しです。当時は中東やエジプトが先進国でギリシャは未だ片田舎。その田舎の青年が大志を抱いてエジプトに留学したと思いねぇ。彼らが大図書館に籠ってひたすら先進文明の膨大な知識を吸収したのか?と思えばさに非ず。彼らは方法論だけを持ち帰ったんですね。そいで膨大な知識に押しつぶされず、その思想が自由に羽ばたけたんですぅ。そこからギリシャ文明@ヘレニズムの華が開いたというわけでやんすよ。

 ま、こりは一例に過ぎませんが、このような例は歴史上枚挙に暇がありまへん。知識には押しつぶされるが、やり方(方法論)には後の発展の余地と自由度があります。で、教育にはどっちがええのん?やはし知識偏重詰め込み型よりか、参加型、体験型、探求型、共同型のアクティブラーニングに分があるように思えますぅ。どやろがい?せやろがい?