1月8日(水)身体性に立ち返るとは。

 曇りのち寒雨しとしと、午後上がり晴れ間。4℃~8℃、93%。さぶしっ!

 「気温17℃まで上がり、春の嵐か?」つう予報は全く当たらず、終日さぶかったですぅ。最新のディジタル予報も斯くの如しっ!って前線の上げ下げは予想が難しいんですね。タハッ

 

 ぼけの哲学とは:

 難行苦行を通して徳を積み最後は悟りを開いて大往生とか、壮大な思考の殿堂を築いて知の巨人となるとか、直線的に大きな物語を通して解脱に至るつうような人生を理想とする思想もありまふ。

 でもね、人間つうのは身体を持った動物ですから、自然の摂理からは逃れうる能わず。みんな等しく、産まれて成長し成熟して枯れて死むと。知の巨人たるイマヌエル・カントでさえ、70歳を過ぎたらボケて痴ほうになり、日常生活さえままならなくなったと言ふ。

 この視点に立てば、「終わりよければ全てよし!」なんて結果主義、目的志向、立身出世、・・・なんてとても言えませんよね?そーです、すべては生きている限りのことにて、その生の真っただ中におけるプロセスの美しさに賭けるしかあーりまへん。

 そう、「今ここ」しかないっ!つう現在主義ですね。ヴィヴィッドな現在以外はすべて妄想です、イリュージョンです、幻です。この現在を生き尽くす思想こそ、今求められているものでしょう。

 って、そりは生き物がみんなやってる生き方じゃないか?「空飛ぶ鳥はなんで明日を思い患おうか」なんて聖書にも書いてあるよ。そーです人間も生き物なんですから、自然に従い自然に身を委ねて嫋やかに一生を終わるのが無理のない在り方(敢えて正しいとか言いませんが)なんですぅ。

 動けなくなったら動けなくていい、ボケるときはボケたらよろしい、と開き直るところからぼけの哲学は始まるのかな?精神世界から動物世界に降りてくるとイロエロと見えてくることもありまふ。アチャッ