3月29日(木)世相にかこつけ、心情をとろっと吐露。

 今日も春霞。12℃〜24℃、32%。花粉多い。もう少しで夏日。桜も散り始めました。





 フレキシブルとは:

 この世界には、正解なんてないんだよ!という相対主義の権化が身にまとう代物です。いわゆる一つの「塞翁が馬」主義と言ってもエエでしょう。こういう世界観では、何しろ言い張ったら負けですね(ホントは勝ち負けの問題ではないのですが)。状況依存主義と言い換えても良いかも。

 よく言われる例では、報告・連絡・相談は要領よく、正確に、簡潔に行わねばならん!つう社会人1年生が習うやつです。カエサルの「来た、見た、勝った」なんかが例として使われます。こういう効率、能率一辺倒の社会で揉まれて過ごしたおっさんが、定年で家庭に入ると、カミさんの話しがだらだらとまだるっこしくて耐えられない。そこで「もっと手短に話せんのかっ!」と怒鳴り散らして、離婚されたりします。会話というのは、内容以上に、話す行為自体に意味があるということが分からなかった所為です。それぞれの状況に合わせて、価値観自体をフレキシブルに変えていけないと、第2の人生は苦難に満ちたものとなるでしょう。

 正論ばっかり言ってる人は、やってることが正反対なんてのも良く見かけますね。「我々官僚は、国民の為に尽くさねばならん!」と訓示垂れてる人々が、上の顔しかみてないとか。偉そうなことは誰でも言えるんですぅ。ホントに口では何でも言えます。つうことで、内容よりも行為を見よう!ってな教訓もこれまた行き過ぎで、両方のバランスを取るのもフレキシビリティと言えるでしょう。(追記:今日(4/2)、官房長官が内閣入府式で斯く訓示したらしい・・・「国民全体の奉仕者として活躍をされることを心から期待している」と。)


 教条的になんでもコレクトネスを目指すと、息苦しくなるから、時にはヤンチャに無茶をやりましょう!ってなふいんき(雰囲気?)が充満している政界ですが、一方巷では個人の行状に対する締め付けが厳しくなってます。これもバランスなんでしょうかねぇ?ふと、ビックリ目の佐川さんの顔が浮かんできます。安倍さん支持者の気持ちになってみると、彼はまさにはっきりと申し上げて、殿を庇う弁慶の勧進帳に見えるんじゃないかな?身を捨てて殿を落ち延びさせんとする忠義者は、昔から日本人は大好きです。・・・と思ってたら、改竄を部下の所為にしようとする態度が見えて、これはとても武蔵坊の域には達しておりませんでした。ザンネン

 ま、社会にはイロエロな考えやお立場の人が共存しておりますから、固執というのが一番いけないことでしょう。柔軟に、柔軟に、角が立たないように暮らしていれば、その内エエこともあるでしょう。と言ってると、これはこれでタコみたいに骨の無い人間になっちゃいますから、自分の中心部分のこだわりは少し残していてもいいのかな?複雑な世界をシンプルにし過ぎると、これはこれで問題だっと。とかくこの世は住みずらい。タハハ





 生き方とは:

 西行芭蕉、はたまた良寛さんが政治に関わってたら、あれほど風流な生き方が出来なかったんではないのか?という疑問は常に念頭に湧き上がります。でも、皆は、政治に関心を持たないとトンデモナイことになりまふよ!っと、脅します。もともと宗教が自己研鑽に努めている間は平和ですが、教えを広めて世の中を救おうってなフェーズに入ると、他の教えとの衝突が起きて、大災厄を引き起こすのは歴史が証人です。・・・でも、ガンジーキング牧師のように、政治に積極的に関与して世界を変えた例もあるから、単純ではない。どないせーちゅんじゃい!・・・やはし生き方も人それぞれで、正解というものはない、と観じれば自分が真に欲するところのものが分かるであろうよ。ふむ。謙虚に、謙虚に、ケキョ、ケキョ、ホケキョー♪・・・ぼくのスマホ待ち受け音は、ホーホケキョなのだ。都庁前駅で降りると、駅音と同じで紛らわしいのだ。