8月30日(水)たまには本音を漏らすのもブログの効用?

 極めて雲の多い晴れのち曇り、夕立。27℃〜32℃、70%。プールだん。これから後24時間で気温が12℃以上急速低下する予報。




 感情と理性の相克とは:

 こりが最も顕著に現れるのが食べ物ですね。例えば、鮒と金魚は同じ種なんですが、一方は甘露煮などで旨し美味し、もう一方は可愛いから食べれないとか。感情移入ですね。ぼくも昔は岩場でイサキの稚魚を捕って来て、水槽で25cmになるまで飼ったけど、情が移って食べれないから、また海岸まで行って放流しました。それ以後、魚屋さんのイサキでも食べれなくなりまひた。ども。

 ナマコとかタコとかぐにゃぐにゃしたものが苦手な人もおります。食べてみれば美味しいのにね。蜂の子やイナゴも目隠しして一回食べれば好物になるかも。犬や猫を食べる人は野蛮人だと思うでしょ?でも可愛いイルカを食べる人もいます。これ全て感情移入の度合いに依ります。もっと極端に言えば、戦時中の飢餓の前線で、骨と皮になった兵隊は人肉を食べたそうです。生への渇望が如何に強いのかは、その場になっても分かりません。

 でも、全てのケースにおいて、食せるものを理性で判断すればただのタンパク質であって、分解すればアミノ酸でかだらの滋養になります。毒物で無い限り何でも食べれます。それを押し止めているのは、倫理観つう虚構と、感情の移入です。

 つうことで全ては感情から始まり理性で納得するってこと、分かってくれましたぁ?・・・うんうん、ぼくはまだいまいち感情の面で納得していないんですが。いや理性ではほとんど分かってるんす。ども。



 ヒューマニズムとは:

 通常、人道主義とかゆわれますが、こりは人間中心主義の表の顔でもあります。神の似姿である人間に、全ての動植物は従うべきであると。・・・ディープ・エコロジーを提唱したアルネ?あるよねネス氏は自然環境は人間の為にあるのではなくして、自然環境そのものが大切なんであーる!とコペルニクス的転回を提唱した。こりはカントの「人間を手段として扱ってはならない!」という命法のかなーり先を行ってるよね。ま、生きとし生きるものを保護する(侵害しない)ことが、回り廻って人類の為になるって付随効果までは否定しませんが。

 でも、ディープ・エコロジーを推し進めて行くと何にも食べれなくなっちゃうんぢゃねーのん?つう疑問が当然湧いてきますよね。そこで、食べられてなんぼの植物は除外しようよ、ただし環境を破壊しない範囲でとか、トカゲやタコみたいに痛みを感じなさそうなのは除外しようよ、ただし乱獲しない範囲でとか、飼育や養殖したのは自然環境を破壊しないんだから良しとしようよとか、イロエロな言い訳が出てきます。

 でも、ほんとのディープ・エコロジーつうのは、お釈迦さまの「捨身飼虎」に尽きるんぢゃナインかなぁ。シッダルタはその前世で、飢えて死にかけてた虎の母子を見て、自分のかだらを与えて生き延びさせたんだと。さて、環境問題を考える我ら人間に、ここまでの覚悟はありやなしや!せめて死んだ後は魚の餌になるなり、森林の肥やしになりたいもんだすぅ。アッチャー  。(いやいや、そう遠からぬ昔、青木ヶ原に入ろうと思てたことはあるんすよ、ほんま。)



 生態学的疑問とは:

 生態学では環境のバランスを最重要視します。食物連鎖とか、共生・寄生とか、生殖補助とか、あらゆる複雑な相互依存性を壊すと生態系のバランスが壊れて、その生存圏が壊滅すると。例えば、羊を食べる狼は悪い奴だと言って、狼を絶滅したら、森の鹿が増えすぎて森林を食い荒らして森林が絶滅して、結局鹿も絶滅してしまった、とか。

 つう原理原則に鑑みるに、天敵の居なくなった今の人類の傍若無人な横暴を見るにつけ、早晩環境を破壊しつくしてホロン部つうのは火を見るより明らか。せめて人間同士を天敵として、争ってくんろ!とかの嫌味の一つも言いたくなった今日この頃。妄想バカの思い込み人類には永遠に平和は来ないでしょう!今日は真黒な玉虫ですたあああ!タハハハ