春霞な快晴!15℃〜25℃、70%。花粉少ない。夏日なり。ゴーヤを植える。奇数のぞろ目は陽数の節句なんであーる♪
園地はどこも子供向けのイヴェントの花盛りなんであーる。子供たちのきゃっきゃと騒ぐ歓声が好ましい休日なり。
半径5メートル以内とは:イロエロな考え方。
はあちゅう氏:
それぞれの半径5メートルの世界をシェアしていくことで「半径5メートルが広がっていく」のが今の時代にあった世界の広げ方ではないかという発言を取り上げて頂きました。無知への居直りではなく、無理せずに自分の世界を広げていこうという提案です。
國分功一郎氏:
「私、自分から半径五メートルぐらいのことにしか関心ないんです!」とか言ってた女性がいて、見ていた小三の娘が「こういうのはダメだよね」と呆れていた。確かに、ああいう無知への居直りは、一周回ったシラケと一緒で面白くもなんともない。
モギケン氏:
「私、自分から半径五メートルぐらいのことにしか関心ないんです!」という言葉は、自分を小さく見せているようで、実は上位に立たせている(いわゆるマウンティング)なのではないかと思う。人間には身体性の限定があるから、広い世界を考えると、必ずどこかで無理がくる。どんな人でも、揺らぐ。脆弱性を見せる。おそらく、時にはみっともない。そのようなみっともなさに対して、「私、自分から半径五メートルぐらいのことにしか関心ないんです!」と言う人は、一見、優位に立つのだと思う。ぼくは、知性とはあやうさと表裏一体のものだと考えている。いろいろな衝動があって、誇大妄想で、自分の身体性、身の丈を超えたことに関心を持つ人が、そのあやうさを制御するために必死になって発達させるのが知性だと思っている。
わだす:
基本的にはモギケン氏の見解に近いですが、自分から遠ざかるほど身体性、個別性、具体性から離れていくのは確かです。その分モギケン氏の言うように、あやうさが増して行くのですが、それをホントに制御でけるんか?つう危惧は常時付きまといます。頭の中だけで広く世界を考えると、すべてが抽象的になり、思惟が行き過ぎたりするんですぅ。これにはイイ面と悪い面がありまふが、悪い方に行くと戦争とか虐殺とかが起ります。近代の戦争が大量屠殺に陥ったのは白兵戦でなく遠くから大量破壊兵器を使用するようになったからです。だからはあちゅう氏の言うように、身の回りの個別具体に籠っている方が安全でしょう。ま、政治で言えば、世界平和なんてデッカイこと言うより、身の回りの地方自治を充実させましょう!ってことかな?ともあれ、この件もどっちかに偏ると危ない!ってバランス感覚に帰結するでしょう。自分の立脚地(足元?)を常に確認しつつ、とりあえず胸に理想を泳がせる!っと。ドッボーン
替え歌シリーズ:
ましらの傷は おととしの ゴリに挑んだ 力くらべ♪ 血跡なめなめ 姉猿が 図ってくれた 仲直り♪