4月18日(火)日本は大好きなんだけど、急に旅に出たくなる時もあります。

 薄晴れ。15℃〜25℃、64%。南風強し。花粉やや多い。ノルディックヲーキングー♪





 忖度とは:

 「先回り服従(vorauseilender Gehorsam)」のことであーる。こりは上位者の直接的な指示に対する服従ではなく、上位者が期待する行動を下位者が推測して行う服従である。これに対して上位者は「発言無き指示(unausgesprochene Anweisung)」を以って対応すると言う。これはゲルマン人の風習ではあるが、日本で顕著な例としては秀吉の「草履温め仕草」があろうか。因みに信長も秀吉も、忖度できぬ者どもの首をばチョンパチョンパと落としたらしいですぅ。


 一方、アメリカではMITメディアラボが「不服従賞(Rewarding Disobedience)」なるものを作って、ルールをぶち壊した凄い奴に25万ドル(約2800万円)を贈るそうだ。https://www.media.mit.edu/posts/disobedience-award/
今年の7月21日には受賞者が発表されるそーだすぅ。どんな不服従があるのんか?楽しみですねィ。


 もちろん不服従にも良い面と悪い面がありまふが、最近の日本では服従の悪い面ばっかし目立っています。更に先回りまでしちゃうなんてねぇ。特にルールへの服従は、もう信仰の域に達してますね。ルールを守らん奴は人に非ずと。ルールの神々に従ってさえおれば、罰は当たらないと盲信しておりまふ。で、そのルールは一体誰が作ったのかっつうと、これが人間なんすねィ。時にはルールの大本に立ち返って、検証してみるのも必要でしょう。




 例えば交通ルールの、例えば信号は何のために作られたのか。これは安全とスムーズな交通流の為であろうかと。そして赤信号は絶対かというと「皆で渡れば怖くない」というのもどーかと思いますが、少なくとも安全が確保されてる状況下ではスムーズな通行ってのに配慮しても交通神の罰は当たるめえ。すかす最近は浅慮なる子供が真似しないように、子供がいるときには、実行しないようにしてたんす。それでも今日の午後、左右ず〜っと車がいないので、それを確認しつつ赤信号を渡ってたら、後ろからむくつけき老人が「赤信号を渡っちゃいか〜〜〜ん!」と大音声を上げおった。もっちろんぼくは不服従だったですが、社会のルール化は老人が担うのんかィ?(このエントリは私怨にて記すなり。)



 いや、もちろんぼくでも交通警察員の方とか地域の見守り人とかの、役割でやってる人には服従しますよ。それにしてもおフランスの子供たちは大人の真似をして赤信号を渡ってるのかなぁ?いまだ子供の事故の多きを聞かず。ちと調べてみよう。ど、ども。