6月19日(月)漏れには漏れの人生があるんや!ほっといてくれ。とか?

 晴れ、快晴かも。18℃〜29℃、47%。かあさん、あの梅雨はなかなかやって来ませんね?プールだん。





 自由とルールとは:


 最近自転車で走っていると、以前よりも「おいおい」とか「こらこら」と言われることが多くなりました。もちろんぼくが悪いのは確かなんですが。真っ直ぐな道路で、遠方まで見通しが良くて、車がまったく見えない赤信号を、おずおずと渡る時に声を掛けられます。以前は、いかにも頑固そうなじじい、いやおじいさんだけだったのに、最近では青年とか壮年が多くなりました。不安定な社会では、ルールに厳しくなるのでしょうか?ルールは集団生活の手段ではなくして、絶対神である!ですか?若い頃にパリでなんか暮らすと、日本ではろくな者にならないという典型例ですね。ショボーン

 とは言え、ルールを頭からバカにして、全て無視していいんだっ!と主張しているのではありません。ルールは手段として必要な時に、必要なだけ守ればイイんです、と主張したい。そーで無ければ、変なルールに逆らえません。所謂一つの奴隷状態ですね。ここでのルールだから人を頃せとか、ここのルールだから毎日イワシの頭に礼拝しろだとか、ルールで倫理に逆らわせたり、ルールで信心を押し付けたりする事例は、校則、社則、条例、法律、閣議決定ばかりでなく社会には満ち溢れています。

 すかす、ルールに従うか、さもなければ出ていけばイイんだっ!つう議論もあります。もちろん他に行く当てが有り、しかもそこがもっと自由で素晴らしい場所なら、そうするオプションもありです。でもそういうケースは極めて少なくて、已むを得ずそこのルールに従って居残る人々が大多数でしょう。その場合は、ルールそのものを絶対視せず、ルールを改善する努力が求められます。「悪法も法なり」を認めるや、認めざるや!そこに各人の根本的な価値観が宿っていますんやあああ!ども。



 
 つらつらおもん見るに、スポーツにおいても「ルール」というのは重要です。ルールの無いスポーツはただの喧嘩にすぎないし、ルールを守らないスポーツは見ていても、やっていても面白くありません。一定の制約の元で人間の能力を競い合うことで、スポーツが成り立つからです。ですからちゃんとルールを守っているかを監視する審判員が必要になります。こりは社会生活における警察官とのアナロジーになるのかな?・・・でも、ゴルフや公園の三角ベースとかは競技者自身が審判員なんだから、このばやいはぼくのずてぃんしゃ交通と極めて近いアナロジーを構成しておりまする。ど、どもども。