2月21日(火)教育勅語は歴史として参考にすべきですが・・・

 冬晴れ。4℃〜9℃、48%。北寄りの風やや強し。白モクレンが一輪ほころんだ。





 権力は必ず腐敗する?

 約10億円相当の国有地をタダ同然で払い下げ!って昔はよくあったらしいんですが(東京駅近辺の土地をメディア各社なんかに?)、今の社会でこれをチェックできないようでは、ジャーナリズムを名乗る資格なーし!政府広報部と称しなさいっ!・・・いや新聞とかTVは、ネットをやってる若い人には必要ないんすが、生活に忙しい市井の壮年・老人が全くこの事態を認識でけないんすよ。・・・ま、多少腐った(熟成した?)ほうが肉も旨い♪とか思ってるような、政権幹部と会食を重ねているメディア幹部が一番腐っているとは思いますが。タハハ






 徳を樹つること深厚なり:

 これは教育勅語の冒頭にある一節ですが、今でも規範とすべき大切な理(ことわり)だと思います。但し「徳」というのは時代時代で変化します。この現代日本においては「徳=忠孝」などと捉まえるのは封建主義のアナクロニズムと言えましょう。現代社会の「徳」とは、人が生まれながらに持っている人としてしやわせに生きる権利、自由、などを守ることでしょうか。憲法を解釈変更するよりも、こういう聖言をきちんと解釈するほうが大切でしょう。これこそ今上陛下の大御心に適うものと、臣は衷心より愚考致しまする。




 つうことで、教育勅語から一字をもろたと言ふ、内田樹氏から一言: 

 「レヴィナス先生が教えられている通り、正義が過剰に正義であることをたわめるのは”惻隠の情”です。それは生身の人間の弱さや愚かさや邪悪さに対する”一掬の涙”のことです。」・・・一掬の涙、いいねぇ♪バカはバカに成りたくて生まれてきたわけではナインすから。ね、同志諸君。