10月25日(火)あらゆるコミュニケーションは創造的ノイズ(誤解?)を伴うものなんであーる。

 朝のうち晴れ間、概ね曇り、一時ぱらぱら。11℃〜17℃、68%。久しぶりにプールだん。少し、ちゅかれたぞい。




 物語の構造分析:ロラン・バルト

 作品を読むということは、作者の意図を正確に把握することである、とする理解は多くの者がしがちなことである。創造した作者は神であり、神に逆らって裏読みするのは冒涜であるとする。すかすバルトは、作品とは様々なものが複雑に織り込まれた織物(テクスト)のようなものであり、それを読み解くのは読者の側であるとして、読者の能動的な働きを強調した。これを「作者の死」と称する。そしてこれは物語りだけではなくして、全ての藝術作品に適用されるとした。けだし慧眼ではあるまいか。

 物語を構成する各単語にしてからが、作者・イロエロな読者各個人の経験や学習、生い立ち、環境、などを写し込んでおり、それらは様々な感慨を、それぞれの個人に惹起する。その写し込まれたしがらみ(糸?)で紡ぐ物語りは、各個人にとっての物語りにならざるを得ないのは、一つの必然であり、作者個人だけのものとはとても言えません。すなわち、イメージの拡がりから捉えれば、作者<言葉<各読者、ということになり、著者を超えて解釈されることになるんであーる。敢えて言及すれば、作者も一人の読者と言えないこともありやせん。

 バルトはなかなか鋭い男と認めて、その処女作「エクリチュールの0度」くらいは読んで見ようと思いました。