9月9日(金)重陽(菊の節句)月餅を食べて贈り物をします。ゆえなき自身の自信。

 晴れ。23℃〜32℃、60%。気温は高いが、湿気なし。遠方が良く見える。半月なり。




 それじゃあ、お前がやってみろよ:と言うのはナンセンス!

 創ったり、プレイする能力、評価する能力、人に教える能力など、人間の能力は極めて多岐に渡ります。それらをすべて、あるレベルで持っている人もいますが、それは単なる秀才です。しかし、それらの中のある特定の能力だけが際立っていて、他の能力はダメダメよー、って人の中に大きな業績を上げる人が多くおります。能力の不思議と言えるでしょう♪

 例えば、長嶋さんは素晴らしいプレーヤーでしたが、いざ教える段になると「来た球をスッと引き込んで、カッと打つんだ!」とか、同じ感性の人しかおせーられません。反して水泳の平井コーチは特段の記録実績はありませんが、数多の名選手を育てております。ですから「そんなに言うんなら、お前がやってみろよ!」というのは、世の中の分業システム以上に、個々人の能力分布から見て、本質的に無理な要請なのです。こう言うことを肌で感じている庶民は、こういう人を詭弁家と見做して相手にしませんねぇ。

 他の方面を眺めれば、例えば芸術家とその作品を評価する人の能力の違いも明らかになります。作家は個性が際立っていて、普通は他の作家をこき下ろします。しかし自分では創れないが、作品の本質を理解してそれを評価し、世に広めた人がいます。大勢の画家を育てた名画商とか、たくさんの音楽家を育てた名パトロンがなかりせば、新しい藝術活動の幅が如何に狭められたことか!

 以上では創作、評価、指導という3つの能力を取り上げましたが、これら以外のあらゆる能力についても同様の事が言えるのですから、ある能力について限度があるといって諦めてはなりません。そのことが本当に好きで好きでたまらないなら、続けているうちに、何時かイイこともあろうかと。生きている内に評価されなくても、後世で評価されたりもしますからこの世界だけが全てではありません。だから、やりたいことを最後まで貫くのがイイ人生だと言えるのではないかと、斯様に愚考するわけでやんす。
ん?わだす?いちおうやりたいことはやってきましたが、いまだ自己評価は定まらず。タハハハ