10月16日(金)さる独立哲学者からのインスパイアとは

 弱雨降ったり止んだり。終日15℃前後と気温低し。11月後半の気温だとか。大分秋が深まってまいりました。雨の中、すんずく方面で懇談。





 人間は何処まで間抜けになれるのかっ?

 それはですね、限界はあーりません!キッパリ・・・どんな利口な人でも、いったん空気に同調してしまえば、幾らでも間抜けになれまふから。ショボーン・・・最近の世界的な組織犯罪(VW,とんしば、イロエロな政府関係・・・などなど)を見てて、そー思いましただ。ん?





 時間と空間:はたまた音楽と絵画とは。

 科学的検証において大切なのは何か→それは再現性であーる。その再現性ってのに必要なのはナンダ?・・・そりは消失なんである。消失なくして再現はありえないと。・・・つまり科学は消失?んんん?・・・ま、変化と言ってもイイのかも知れません。音楽は変化するから心に残る。音波は消え去って芸術化する。他方、絵画は消えません。これが時間と空間の大きく異なる本質でやんすよ。(でもヴィジュアル系でも花火は消えますねぇ。)





 内容(コンテンツ?)か、場(システム?)か:

 方程式が、具体的な数値を変数化して抽象し、変数間の関係性だけを記述することにより、柔軟性と応用性を増大させまひた。言語をその意味や内容と分離し、それを使うための「場」を作るためのツールと割り切った「オープン・ダイアログ」が精神障碍者のケアの場で効果を発揮していると言ふ。会話の中身より、交流の応答性維持に主眼を置いた、「作用場」というのが極めて大切であるとか。一つのコペルニクス的転換であろうか。考えてみれば、生命も物質と言うよりか、作用や関係性だと思えば、より自由な発想ができるのではあるまいか?ネットの中にも生命体を作れるとか?時間概念を変化や作用の媒介と見れば、計算可能性やその過渡期をどー扱うかという問題にも遭遇する。ネットの新しい潮流の予感♪



 うィ〜っ♪酔った、寄った、寄り切りでィ!タハハハ




 喫緊の課題として、2030年問題を提起する若者がおった。この辺が、日本社会も世界も一つの曲がり角かもね?(一応、備忘す。)