5月29日(日)MOTは今日でお終いです。再開は未定です(2年以上先?)。

 薄晴れ。16℃〜26℃、73%。今日も湿気が強く遠方もやもや。

 今日で最後(次の開館まで)のMOTを少し覗いた。常設展の方は、一応MOTが選んだ名品が展示されてます。ウォーホル、ホックニーリキテンシュタインなどに混じって宮島達男のディジタルカウンターは2000個近い赤色ダイオードが点滅を繰り返し、色々な個人の時間の経過を刻みます。0の表示はなく闇になります。この世界のすべてのものは発生と消滅を繰り返し、時間は流れる。変化・関係・永続のモチーフは永遠なり。30分程不思議な時間・空間に浸りました。河原温の100年カレンダーもおもすろい♪自明ではない意識の連続性の確認、日常生活における生の断片を切り取り芸術に昇華する。自分のカレンダーも作ってみようかな?





 慣性の法則

 一度できてしまったシステムを変えるのは至難の業なんすねぇ。みんなそれに馴染んでるし、周りの環境もそれを前提として積み上がってしまったと。コンピュータのアーキテクチヤーやイロエロな通信プロトコルなどは、一端デファクトになると殆ど変更できません。生命が出来た時の偶然で20種類のアミノ酸が使われてますが、これにも必然性はありません。たまたまできてしまったものが全ての生命で30億年近く続いているんですねぇ。・・・つうことで自動車のアクセルとブレーキの位置も足の下の左右で変わりません。フェイルセーフという見地からは極めて危険ですが、今さら変更できません。人間工学的には、パニックで踏みしめる位置にはブレーキだけにして、気を失ったら放す位置(手で操作とか)にアクセルを持ってくるべきでしょう。(今は二つとも足下の近い位置にあります。)・・・つうことでアクセルとブレーキの踏み間違い事故防止は、自動運転まで待たねばならん状況だすぅ。ショボーン





 
 ブレンターノのテーゼ:

 「意識(心的現象)はそれ自体のうちに志向的に対象をもつ現象と定義できる。」・・・あらゆる意識は、必ずしも同じではありませんが対象としての何かをそれ自身のうちに含みます。愛においては愛されるもの、嫌悪においては嫌われるもの、欲望においては欲望されるもの、表象においては表象されるもの、判断においては肯定または否定されるもの、というように。志向的内在は意識(心的現象)のみが持つ性質です。一方、物的現象(力学など)はこのような志向性を示しません。


 とは言え、瞑想、禅、ぼんやり(デフォルト・モード・ネットワーク?)、ハシビロコウ、などはどーなんでしょ?志向性を持たない意識とは?ハレハレ