3月11日(水)桃のつぼみが開くころ、東日本大震災の日

 青い空に白い雲。0℃〜12℃、32%。もう4年が経過したのか。つい昨日のようだけど。北へ帰る渡り鳥多し。

 公園の陽だまりにスズメたちが群れる。今が一番厳しいころだろうな?花壇の花も干からびて少ないし。もうすぐ春分。ふぁいとー!






 エネルギー過多?

 本郷方面でエネルギー問題の懇談会。3.11になると思い出したように反省するのは民族性?自然災害も人災もアッと言う間に忘れちゃうからねぇ。一応偏らないように自然科学(理系?)、社会科学(経済?)、人文科学(倫理?)をまんべんなく配している。日にちが日にちだけにエネルギー問題が原発問題に飛び火して、議論が過熱する。

 元々エネルギーってのは人間が火を使うようになってから、すべての文化・文明の大本で、日常生活や経済、軍事、衛生・健康などすべてに関わってるんすねィ。エネルギーこそが国家存立の核であって、エネルギーが枯渇すると国家も個人も枯渇する。という勇ましい論調もあるにはありまふ。でも、エネルギーの消費と幸福度は必ずしも比例しないから、3割くらい削減したってどーってこたー無いわな♪ってなしともおりやす。

 地学者の意見では、「活断層よりか津波だわな!」という見解。これは女川原発と福島第一を比較してのもの。それに13mの津波は「想定外」のものではゼッテーありえないと。経営者、エンジニアが真摯に地学者の意見を聞けば避けられた筈。これは効率優先の害に如かず。リスクの選択は、原発即時廃止、原発一部稼働、原発全面稼働のそれぞれに利点とリスクがあり、冷静にバランスをとるべきだと主張。ま、これは絶対安全ってのが無いってのを基本にすれば当然の意見ですね。何しろ、生きていることが一番のリスクなんですから。ぷ

 倫理学者は、そもそも「人類保存」を大原則にすれば、1.動機の正義性か、2.結果としての幸福か、に分かれる。でも正義とは何か?幸福とは何か?に議論は発散する。それに人類保存の原則も、今ここに生きている人々か、未来に来るべき子孫かで重心は異なる。とは言え、善悪のみに拘ると当然の対応にも誤ることになる。即ち原子力工学を希望する若者が居なくなれば、原発の安全な廃炉や稼働時の安全性、はたまたより安全なトリウム原発核融合などの可能性も閉ざされてしまう。つうかなーり穏便な意見も出された。

 ここで外人の特任教授から鋭い意見が出された。「そもそも、原発事故ってえのは、エンジニアにしろ、学者にしろ、電力会社の経営者にしろ、官僚にしろ、政治家にしろ、主導してたのはT−パンティいやT大のしとでしょ?そこからの公式の検討や反省がなーんもないやんか?」と面白日本語で指摘した。これには一同ビックリ!さすがオカメヒョットコいや傍目八目。・・・主催者は、「今後の議論の継続がもっとも大切かと、斯様にかんがえます。」とかお茶を濁しておったどっ。

 功名心に逸ったあふぉな若者(オボちゃん?)を散々貶していたののはT大のエリート。すかす、昨今の論文偽造にはちーとも言及しなかったぞなもし。斯様に世の中は、人を呪えば穴二つなのれすぅ。寛容が肝要!かな?







 犯罪論:

 「カッとなってやってしまった。今では反省している。」ってのは粗暴犯の定型的な言い訳ですが、これはかなーり本心に近いと思いまふ。人間だって手負いの野獣になったらこわいどっ!







 過去ログ:

 今、2011年3月11日〜3月31日までの過去ログを読んだっ!臨場感ありっ!また一行30字くらいの改行にしてみようかな?何しろ俺が読みやすいんだっ。






 な、なんちゃってジャーナリスト:

 な、なんだっ、カバの野郎がTBSに出てやがる。粘着者は義憤なんだって。でも、被害者はそー思っていないと。勝手に被害者を代弁してるだけなんだ。極端な意見の方がおもすろいから、盛り上がってるように見えるんだと。2ちゃんはフロー、フェイスブックはストックなんだ。コミュニケーションマナーは時間を掛けて定着するしかない。・・・(まっとう杉て漏れはついてけない。)   マスメディアはもう終わりだ!と言い続けてきたが、最近コロっと転向した。・・・見ている人にキチンと届けばマスメディアもダイジョービなんだってさ。もちろんひな壇もバラエティも。これってビーテレに擦り寄り過ぎじゃねーかい?・・・いや漏れはハズマンじゃねーよ。増してやルサンチマンではぜってーねえどっ!