2月20日(金)土脈潤起(どみゃくうるおいおこる)、土がうるおい活気づく頃

 晴れ、時折曇り。3℃〜12℃、45%。風邪立ちぬ、いざ生きめやも。





 意味論:イミな〜し!

 ・まず前提として、宇宙の大きな流れから見れば人間の、いや生物自体の活動の意味は認められない。なぜなら最後は、すべて「無」に帰するのであるから。
 ・次に時間軸を少し縮めて、人類の歴史に限ってみよう。進化の過程で直立し、大脳を発達させて道具を作り、文化を創って、一見進歩しているように見える。しかし冷静に人類の外部の目から眺めれば、これは地球環境破壊の歴史であり、人口は膨張したが人々はあまり幸せになったようには見えない。
 ・では次に、一人一人の人間の一生に限ってみよう。産まれ落ちて、成長し、成熟して、最後は老いて衰弱し、氏むと。これは神を措定して、来世の復活を信じなければ、最終的な意味は見いだせない。幻に縋り付けない覚めた人には救いは無い。では社会の持続や子孫の繁栄のために働くのが人生の意味である、としたらどーか?これはステップを1歩上にあげるが、前項の歴史的意義に戻るだけである。

 つうことで、すべての結果には意味なーし!と言うことになるが、これでは余りにも味気ない。そこで生み出されたのが、「今ここ」を充実させるプロセス主義なのであります。すべての意味は生きて活動する過程の中、今ここの充実にあり!泡と生き、泡と消えぬる我が命。ショボーン

 
 やはし、意味なんてものは考えちゃイカーンのれすね。自我を消し去り、生きているうちから関係性の中のみに埋没しちゃえば、氏もまた楽し♪ あと、できるだけ色んな人の経験を学び、知ることによって、人の経験をエア追体験することかな? 生物つうのは身体の呪縛からはゼッテー抜け出せないんすから、まずかだらが喜ぶことをやると。良い絵、良い音、良い匂い、更に良い味、良いスキンシップと五感を総動員して楽しみましょう♪また、楽ばっかしじゃ、それに馴れちまうから、激辛苦労が人生の味を引き立たせると!(これ即ち玉虫の快楽主義なり。)どもども。