爽やかな秋晴れ。15℃〜23℃、39%。
裏腹シリーズ:人間性
ヒットラーは自分のことをイイ人だと思っていた節がある。「自分は国家と結婚した」として生涯独身で通し(愛人はいたけれど)、生活のすべてをドイツ国家とドイツ国民に捧げ、第一次世界大戦の敗北で疲弊したドイツを一流国たらしめようと(自分の内心では)思っていたと。これはポルポトやマオ・ズートン、スターリンも同じで、彼ら自身は彼らの正義を成そうとしていたと固く確信していた。しかるに、その結果は大虐殺に終わったのです。何故なんだあああああ!と言ふ疑問は、彼らは元々悪人だったのだという、極めてシンプルな結論に回収されてしまったと。
生物的本性として、人間は自分の中に(その大小は別にして)邪悪なもの(攻撃性、暴力性、嫉妬、などなど・・・)を必ず持っている。親鸞のように、それを自覚し、その上で自他を救う悟りにまで至った聖人もいる。しかし、自分は弱者であり、善人であり、常に被害者であり、邪悪な心など寸毫もないと信じ切っている人(人々)がいます。それらの人が、大義名分、イデオロギー、信仰などでその独善的な正義をオーソライズされたときにどんな行動を取るのかは歴史の証明するところだすぅ。その正義が一端発動されると、その攻撃性・暴力性には歯止めが掛からなくなって、暴走が始まるのですぅ。コワイワコワイワコワアイワー!
自分のブラックな部分に対する恐れや畏怖の念があれば、それをコントロールしようと、自覚的に努めるのですが、自分は常に善い人で、清く正しく美しく、しかも弱い人間であると思い込んでいる人(人々)は、自らの内心の暴力性に気づきもしないし、それを制御しようともしません。そして自分の攻撃性を無自覚に表出し、その結果必然的に加害者になってしまうんですぅ。これがいわゆる一つの、良い人はワルイっつう例だすぅ。
一方、マキャベリのようなワルイ人は、自覚的にそれをコントロールできるので、大虐殺のような事態には至りません。実はこのような真のリアリスト(悪人?)が正義と偽善の間を中和して、世の中のバランスを取っているんですね。そういう意味では、お子ちゃまばっかしの世界では、左右両翼の激しい対立を生んでしまうのでしょうね。ショボーン (最近の極東、および日本の現状に鑑みて)
注:ルサンチマン・・・屈辱と自尊心の上に成り立つ複雑な心情。隠された怨恨として表出することが多い。