12月10日(火)つねに零れ落ちる今ここ

 午前中雷雨、午後晴れ間。6℃〜14℃。落葉多し。



 築地方面で忘年会。フグ尽くしにて〆る。う〜ん、最後はフグ酒にて舌が痺れてきたぁ♪こわれてきた(乞われて来た、恋われてきた、壊れてきた)。






 神は細部に宿るのか?

 人間の外界認識は二通りあります。ふいんき(なぜか変換でけない)を大づかみする印象把握と細かいところまで分析する詳細把握です。前者は効率は良いが正確ではない、後者は細部まで正確に記憶するが全体の把握が疎かになる。この両者をバランスして生きてるのが人間なのれす。時折りこのバランスが崩れている人がいるのも人間なのれす。でも余りにも細かいと小姑根性として嫌われることが多いですぅ。


 しかし物事の真贋を見分けるにはどーしても細部にこだわる必要があるのですね。これが科学の始まり。顔のモンタージュよりも指紋照合の方が犯人特定に力を発揮するし、更にDNA鑑定までやれば完璧だすぅ。更に絵画や骨董の真贋を見分けるには、全体の印象よりも細部のタッチや技法が決め手になるとか。鑑定にルーペを要する所以です。

 しかし私たちの日常の時間からは、細部がほとんど流れ落ちて印象しか残っていないのは皮肉です。ついさっきあった人の靴の色を覚えていれる人は稀でしょう。でもその人の印象はハッキリと残っているんですぅ。

 このような認識の構造が分かっていれば、人の些細な間違いを咎めなくなるのかな?そーあってほすいもんだす。ネットは全人格のホンの一部、政治的意見もホンの一部、言語化出来るのもホンの一部。我らの認識できるのもホンの一部。常にこぼれ落ちる今ここ。しかし全体の印象は(無意識的に)細かいとこにすごく影響されてるのも事実。この世界は常に相即的なのれすぅ。ども。