11月20日(水)錯視はあれども、みんな同じように間違えるってことは?

 快晴。8℃〜17℃。引き続き空気澄明で、今日も富士山が良く見えました。こういう日はジェット機が空高く浮かんでるのが不思議に思えますねェ。





 思い込み関係:錯視


 中野方面に進出。「ぐるっと中野」つう街めぐりイベントをやってるんす。明大中野キャンパスでは「錯視アート展示会」をやってて、これはぼくの興味の範疇。数学を使ってイロエロな錯視アートを作ってるんす。止まってるのが背景によってモニョモニョ動いてるように見えるとか、不可能立体や不可能モーションなど新作が多数。

 もともとコンピューターが図形をどのように認識できるのかを研究していたら、不可能と思える図形を「ニンシキカノウ!ニンシキカノウ!」なんて応答があったので良く調べたら実現可能な図形だったことから発展したとか。


 そもそも彫刻と違って2次元上で表現する絵画は、脳の思い込みを利用しているんです。遠近法とか濃淡で奥行きを醸し出すと。これは脳内処理の定型化を利用したものです。すなわち「奥行きの思い込み」と「直角の思い込み」だすぅ。

 角が出っ張っているのか引っ込んでいるのかは、影や周りの状況で演出でけまふ。また面どうしは直角に交わっていることが多いと言ふ思い込みも利用すると、ある視点からみたばやいにあり得ないような図形を数学的に作図することがでけまふ。


 またこのような錯視を利用して、逆に脳内での視覚情報処理を分析することもでけますのや。人間の感覚は外界をそのまま写し取っている受動的なものでは無くして、自らが積極的にその認識に関与している能動的なものであるわけです。これがひいては錯視の原因になっているわけです。






 とは言え、これが人間の認識を全く出鱈目なものにしているかっつうと、そーではない。多少の誤差はあれども数学でこの錯視が扱えるっつうことはですねィ、人間の感覚ってのはほとんど同じものだと言ふ確証にも成り得るわけでありまふ。同じような遺伝子で作られている脳内結合が、同じような認識を示すってことに何の不思議があろうかっ!ドヤドヤ?