11月16日(土)紅葉の中、現代アートを観賞す

 快晴。8℃〜17℃と日中は久しぶりに暖か。しかし陽射しはだいぶ黄色く弱まってきた。


 今日も美術な1日。MOT(東京都現代美術館)に行ってきた。「バニー・スマッシュ」を見る。「不思議な国のアリス」の兎の穴が異次元に通じているように、日常に穴を空ける現代美術の数々。イロエロな体感する美術、いわゆる一つの身体性のある知性なのかな?身体的な刺激も知的刺激も満ち溢れてまする。やはし今の時代精神はビットなのかなぁ。常設展も見ようかとおもたが、とっても疲れちまってまた今度にしますた。やはし感性への刺激はやり過ぎてはいけまへん。




 数学でも代数方程式の解といふ具体的なものを抽象化して群論などを作ったら、対称性などの本質にたいする見通しが良くなった。ホントに必要なものは何か?と雑音を削ぎ落すと本質に迫る。それを掴むための抽象化には意味がありまふ。つう意味では抽象化は一つの帰納的(個別具体から普遍へ)な手段かも。抽象化していくほど違いが際立って、違いが分かりまふ。




 つうことで、恥かしい本質でなければ抽象化も意味があるかもねっ。プ





 しかし抽象化して単純化するってのと、カオス化して複雑系になるってのも塞翁が馬でどこまでも繰り返すんですね。例えば現代アートとおんなじようにゲームも手段を制約することによって成り立ちまふ。手を使うな足を使うなとか。その中で技能が精緻さを加え、ゲームは分化し、複雑性を帯びてきます。そこでまた単純化の制約を加えると。現代アートを見る時は。如何なる抽象化を行い、如何なる制約を手段に賦課しているのかを考えてみるのもエエでしょう。ホントはこう言うのは言語化せずに無意識下での作用に留めて、現物を実感するに如かず。カナ?




 でも、こう言ふのは一種の妄想ですから、じびんの内心に留めておくのが吉。カナ?カナ?