10月24日(木)霜始降(初霜が降りる頃)


 終日細雨しとしと。16℃前後と涼しい。街路樹も少し色づく。八重洲地下街にラーメンストリートつうのが在って、そこで夕飯を済ます。でもぼくの嫌いな行列に並ばんといかんのれすぅ。でも旨かった。



 無意識下の男女非対称性とは:

 ふだん自分は性差別などしていないと思ってる人でも、文化的な刷り込みは無意識下で顕在化されまふ。特に女性をわざわざ強調する表現にそれは現れます。女医さん(男医さんはない)、女流作家、女性教師、女高生も?(単なる作家、教師、高校生から女性を強調している。)家人、家内、老女などもそーかな?捜せば男性を標準として、女性を例外的に扱う表現は未だに根深く残っています。いや言ってる本人に差別などの悪気は無くても、無自覚であるという咎めはあるのでしょうね。

 西欧語でも女性名詞、男性名詞という品詞の違いはありますが、個別の表現で女性を強調するような言葉はだんだん少なくなってきた気がします。

 生物学的な違いは心身ともにもちろん存在しますが、それを社会的な差別に援用してはならないというのが近代の人権原則でしょう。少なくとも機会の平等と言ふ観点から強く性差別語の廃止が要請されてきました。

 では、男前とか女らしいもダメなのかな?美人、女々しい、男勝りもダメ?内助の功もダメかな?対応語があって対称的ならイイのかな?母性/父性、マザコン/ファザコン、母子家庭/父子家庭とか。あまり厳しくても言葉狩りになってしまい言語の持つ表現力自体を損ないかねませんが、それでも民族の歴史や文化自体に潜む差別や蔑視は自覚する必要があるような気がします。「女だてらにしゃしゃり出やがって!女はすっこんでろい!」と言いたくなるおやじの気持ちは分かりますが、それは悪い気持なのれす。そこんとこよろすく。ジャン



 一方、女性の社会進出が叫ばれて久しいですが、日本の現状はまだまだお寒いかぎりです。「今の日本では男性化した女性しか出世できない。偉くなりたい、競争したいと言うのは男性の価値観であーる。」つうような知識人がごろごろしてますからねィ。出世欲というのは男性の根本的な特質であって、そのように変化した女性のみが出世でけるといふヘンケンさん。構造的な問題だから解決困難と尻をまくると。

 すかす現状を見るに、そんなこたーねーんでやんすよ。働き中毒で家に殆ど帰らず、家事も育児も放棄した企業戦士の家庭では、お母さんが息子たちに「人間としてあんな男になってはダメですよ。もっと家族や家庭を愛しましょうね。」と教育したおかげで、今の若い男性は出世欲が極端に減少し、競争的でもなくなってきました。げに母親とは強いものですねぇ。文化的な刷り込みなど一代で一掃してしまいまふぅ。戦時中は「陛下のおん為に死になさい」でみんな死んじゃったし、戦後は受験戦士や企業戦士を育てたし、お母さんの価値観の変化が日本の歴史そのもの。その影響力は父親の数倍とか。実は日本は女性(母親)で回ってたとか。プ

 卑弥呼や天照の時代からリーダーシップにもイロエロな形があって、女性には適さないなどというこたーぜってーごぜーやせん。協調的、統合的なリーダーシップだってあるんです。とくにサービス分野などではこれから益々女性のリーダーシップが望まれるでしょう。そうそう旅館の女将さんみたいな目配りのリーダーとか。

 組織としても、大声で喧々諤々と議論できる場も必要ですが、一番アウトプットを出せるのは協調的な組織であーる!つう論文もいくつか出てきました。何ごとも決めつけや、開き直りはいくありまへんどすぅ。どもども。