10月25日(金) 近代化とは単純化の流れ?

 終日、雨降ったり止んだり。16℃〜20℃。湿度高し。台風の直撃はなさそですが、豪雨はありそ。




 デカルトの呪い:反科学主義的なことをゆってみた。

 科学的思考の祖と見做されるデカルトは、方法的懐疑で疑い得るすべてを疑い、それでも残ったものを確固不動の真実たりうるとした。感覚は勿論間違え得るし、時には幻想さえ引き起こすから没、体も感覚によって支えられてるから不確かで没、時間とか空間も感覚からの思い込みかも知れないから没、それでは1+2=3などの自明な数学的真理はどーか?これも神がそー思い込ませていると疑うことはできるから没。・・・と少しでも疑い得るものはぜーんぶ除外してみると、そこには騙されたり疑ったりしているものが残るのは確かだ。これを認識主観として「私」と称する。

 しかしこれは、考えたり疑ったり判断したりする「精神」だけが実在であり、その実在から対象とされるもの(身体も含む)は仮象とし、それを認識主観が如何に間違いを除きながら観察するかが学問の方法であるとした。主観と客観を明確に分別した2元論の始まりです。科学技術は、このように単純化した世界観から発した片寄った認識ですから、時に自然や人間のような複雑な対象を扱う時に、限りなく分析的になり全体の調和を見失い、大きな誤りを犯すことがあります。

 近年の二項対立的な図式、AかBか、保守か革新か、民営か公共か、Tpp賛成か反対か、原発維持か廃絶か、・・などなどすべてを単純化してイエス/ノウを迫る思考停止も、このデカルトの2元論を源流としているのです。自然や人間や社会はもっともっと複雑で簡単には割り切れない奥の深いものなのに、スパッと割り切って白黒つける怠慢。これが現代社会の病根であることは明白であーるっ!科学技術は世界を人間にとって便利にしたことは確かですが、それが人間をどれくらいしやわせにしたかは些か心もとないです。いやむしろ大量殺戮兵器や環境破壊などで不幸を増幅しているのかもしれません。

 ネットは便利ですがネット依存者は300万人もいるとか。新幹線やリニアは便利ですが、早く着いて日帰りできても人はしやわせにはなりまへん。TVやRadioで遠方の物を見たり聞いたりできますが、それがなんぼのもんじゃい!苦労して旅行した生の感動のほうがよっぽどエエでぇ。・・・

 物理主義的な世界観を未だに維持しているわたしが言うのもなんですが、人間はこのまま突っ走ってホロン部かもしれんですねぇ。でも人間はいなくなっても世界と言うのは残って貰いたいなぁ♪

 この項、続くかも。(そろそろ、続くかも項の棚卸をしてみないと不渡手形で溢れまふ。タハハ)