11月26日(月)脳内で考え続けるとドツボに嵌ります

 終日寒雨。8℃±1℃。思ったほど気温上がらず。



 デカルトの屁理屈:神の証明
 デカルトのデは前置定冠詞、カルトはカルタやカードと同じく書類を示す。合わせて代書屋さんといふ職業を表わしたとか。で、代書屋のルネは方法的懐疑でまず全てを疑った。色々と不確かなものを否定しながら、考えているコンテンツは時に変なものもあるが、考えている自分の主観があることだけは確かだと断じた。(ま、ありていに言へば自分のしか確かじゃないけど)そしてそこから神の証明を始めたのれすよ。
 1.神といふのは「無限で、独立で、全知全能で、私を含めてすべてのものを創造した実体である」と提議した。それらすべての性質を有するものはこの有限な私から出てきたとは全く思えない。故に神は必然的に存在する。(有限な私が無限を考えれる。→神)
 2.考える存在である私、に考える力を与える力はいくら探っても自分の中にはない。この事実から私が考える力は、私とは違ったある存在者に依存するということを認識する。そのある存在者を神と言ふ。(考える力を存在させる力は自分の内にはない→神)
 3.考えるわたしが存在し、最も完全な存在者(神)のある観念が私の内にあると言ふただそれだけのことから、神もまた存在すると言ふことがこの上なく明証的に論証される。(神の観念が私の内に存在する→神)
 てな三つの論法で、自分で勝手に神を定義して自分でそのようなものの存在を勝手に証明したとする唯名論的な物言い。そー言へば他の誰かの「全能な神に”存在しない”などという属性があるはずもなーい!ゆえに存在する。」つう証明に似てなくもないな。ちなみにカントは神の存在などという観念上の議論はするだけ無駄であーる!と切って捨て、人間の考える力は生得的(アプリオリ)なものだとしている。これも証明不能な断言に過ぎない。
 かく屁理屈は際限なく続きますが、デカルトは少なくとも科学的な方法論を提示したといふ手柄はあります。すなわち、1.明晰に判明したもののみに基づき、2.小部分に分割・分析し、3.それらを総合し、4.最後にすべて枚挙したかチェックすると。図形を数式で表せるようにしたデカルト座標も画期的でしたね。かの人物を概観するに、人間は賢いところとオカルトなところが渾然一体となって成り立っていることが分かりまふ。ジャン



 自分の生きがいと、それをサポートする人との関係は男女には関係ないんだっ、といふ実験が朝ドラで行われていまふ。見るべし!ヒョッとして文化の壁を壊せるかもよ!プ