3月17日(火)想定外の展開をする種を蒔くしかないのかも

 春霞な晴れ。10℃〜20℃、58%。昼間は汗ばむくらい暖かい。






 生命の探究って自己言及の矛盾的だな?

 デカルト以来の科学的方法論は明証性、分析、演繹、枚挙、総覧というものであった。しかし観測できない主観的意識体験を科学的に扱う方法論はあるのか?物質としての脳がなぜ主観的な現象意識を持つのか?この難問は従来、哲学的に探究されてきた。

 しかしより客観的に、科学的に実証しようとの試みには原理的な困難が伴う。そもそも主観というのは、それが対象になった途端に客体に変じるからである。否定的自己言及に似たような逆理を生じるのであーる。要するに論理的かつ合理的な手段では届き得ない対象なのです。しかし自分の主観の中では明らかにリアルな意識と感覚質が存在する。

 物質とその電気的、化学的作用の中から如何にしてこのような現象的意識が発生するのか?一旦このような難問(ハードプロブレム)に取りつかれた科学者は、その方法論を手探りした挙句、機能的意識の分析的、実証的な研究にも戻れず、芸術・文学・哲学と科学の狭間に漂うのであります。これはハードプロブレムではなくしてバッドプロブレムではないのか?と皮肉をいう識者もおります。

 でも、論理・実証では届かぬ問題に、自分の生涯を掛けて挑み続ければ、そこで得られるものもまた多かろうと、斯様に考量する次第です。だって人間の生活って、生きる為の手段的なものを除けば、生命の不思議の探究しかないのですから。しかもそれは永遠に開示されないと。ショボーン






 さて、旅の準備でもするかな♪ワクワク