10月21日(月)眦(まなじり)を吊り上げるより、humour を持って生きようではあーりませんか

 曇りがちな晴れあるいは時折り青空がのぞく曇り。15℃〜22℃。颱風が団子状態で本土奇襲を狙えり。タハ


 柏方面に進出。鬱になったつれ(友人)がいて励ましに行った。あんまし励ますと中途半端に気力が出て自殺しちまうっつう説もあるからと思って遠慮する俺と思ったら大間違い。大いに励ましてきた。でも黙って話を聞きながら、そのことによって励ますってとても複雑な手順なんすけど。人との繋がりが途切れると言ふのが鬱の大きな原因の一つと言われてマスカラ。別れる時にかなり元気が出てたから少し心配だ。





 時間の形容詞:

 まったりと嫋(たお)やかに流れる時間とか、ズッシーンと重く淀む時間とかイロエロな表現がありまふ。皮膚感覚を時間の経過に使った例もありますねィ。ヒリヒリした時間なんて、あんまし過ごしたくないですぅ。緊張感と恐怖感が感じられます。むず痒い時間なんていたたまれないですねぇ。尻がむず痒いとか。サラサラとした時間は清潔そうで爽やかですが、何も残らないって感じ。ジットリとした時間ってどんな感じ?時間のクオリア(主観的な質感)を形容してみますた。ああ、日本語って曖昧だけど、豊かですねィ。





 蠅の王:無邪気なイノセンス

 近代市民社会が形成されて以来、「自由」と「平等」の相克は今でも続いてまふ。自由に振る舞えば争い(訂正:争いつうと異論多出だすから、競争くらいにしとこ)が生じ格差が増大する。平等を志せば規制(訂正:規制っつうと過剰干渉みたいだから、暴走防止くらいにしとこ)が生じ自由が制約されると。この相反する価値観は永遠に交わらないのかっ!

 この構図を無人島に漂着した子供たちの争いで思考実験したのがW.ゴールディングの小説「蠅の王」です。ネットでイナゴを引き寄せるαブロガーのことではありまへん。結局この小説では子供たちの凄惨な殺し合いで終わり、蠅の王でもイイから集団の結束にはいわゆる権威の統合力が必要であると示唆していまふ。

 関係性の中に生存条件を探ってきた人類は、その本質に群れの階層化(カースト化?)を含んでいるのれすぅ。些細な違いを見つけては序列や差別の構造を作ると。それに逆らう輩は爪はじきにしてまいまふ。

 みんなで助け合って共存しようよっ!つう共同体志向の裏腹に、特異なものを排除する構造も透けて見えます。その事実を理解しつつも、それに抗(あらが)うと言ふ不確かな信念だけが辛うじてこの陥穽から逃れ得る僅かな道標と成り得るのかも知れまへん。


 而して、苛めの構図が群れをなす生物起源だとしても、その事実を認識し、尚且つそれにあらがう広い心が肝要ではないかと、斯様に思案いたす次第。かなーりむずかすい課題ではござりまするが、まずはイラつく対象に生暖かい目を向けようではござらんかぇ。あまつさえ、人の発言をブロックするなど、言語道断の振る舞いと心得よっ♪






 追記:

 不遇な人生を送っていた者がたまたま時流に乗って権力を握ると、とんでもないことをやらかすって例は歴史上に多々ありまふ(秦王@政とか)。人間社会にとってはその者を不遇のままに(本人にとっては災難ですが)しておいた方が良かったのかも。なんかそう言ふ人ほど成功すると「万能感」を持ってしまうらしいんだ。「ありえね〜?漏れってひょっとすると神じゃね?」とか。ホモサピエンスの単なる一要素で他の人と大差ないのにねぇ。プ 

 思い込みなる人間性の本質ですか?ハイハイ  いやアビさんやヒトラのことではありまへん(為念)。