9月8日(日)相手を思いやる心の芽生えが「心の理論」

 終日曇りで時折りぱらぱらと弱雨。気温は26℃〜28℃と低めですが湿度は90%以上で外へ出ると気持ち悪くまとわりついてダルイですぅ。昨日は24節気では白露でしたが今日は72候でも草露白です。



 オリンピック招致決定の感想:

 次々回のオリンピックがTOKYOに決まって、マスコミ、スポーツ界、経済界、政界などは興奮しきり。「オリンピックなんて無駄に金を使って、それを呼び水に金を儲けようなんていう浅ましい奴らの祭りで、そんな金があったら震災や原発災害の復興に使えや!」つう声も少なからずあります。ぼくもその声に
幾分かは共感を示します。でも所詮日本は外圧が無ければ変われないとの運命を受け入れるなら、これも一つの切っ掛け。東京を日本を海外の目に晒しながら、出来るだけ良くしていく契機になれば幸いです。「安全で、綺麗で、優しい国」が少しでも実現できれば、これはお金に換算できません。でもナチスの例もありますから、日の丸を振り回す人々はあんまし張り切り過ぎないように願います。ども。
(「来年のことを言うと鬼が笑う」という諺がありますが、7年後のことを言うと笑うのは誰でせう?・・・そりは東海大地震の大鯰?政府の地震調査委員会は7年後の東海地震、南海地震の確率をどー見てるんでしょうか?興味あるところです。)







 想像力の裏腹:共感力と過剰恐怖

「心の理論」つう児童心理学上の概念がありまふ。他人が見たり聞いたり考えたりしていることが、自分とは違うのだと気が付くことを理論化したものです。「誤認識課題」つう実験がありまして、これを通過するのが3〜4歳の頃。例えば、「太郎はお菓子を箱に隠して出て行った、それを二郎は引き出しの中に移した。太郎が返ってきた時に、お菓子を捜すのは何処でしょうかっ?」つうような課題を絵にして幼児にやらせると、「心の理論」が形成されていない幼児は太郎の誤認識を識別できず自分と同じ神の視点で、太郎は引き出しの中を捜すと答えまふ。しかし「心の理論」が形成されている幼児は、太郎の身になって、太郎はお菓子が箱から引き出しに移されたことを知らないのだから、箱の中を捜すだろうと推測します。これが第三者とのコミュニケーションの始まりなのれすね。

 しかるに国のレベルで言へば、国人格は3歳の幼児以下に退行してしまいまふ。相手がどんな根拠でどう思っているかといふことを知ろうとも想像しようともしません。相手の「誤認識」がどうして起きたのかを推測しようともしないのですね。人間個人の人格から、組織の法人格へ、更に国人格へと拡大するにつれ幼児化し我儘になっていくような気がしまふ。自分と同じように考えていると言ふ思い込みから脱することができないのは、いわゆる一つの「自閉症」と申しまふ。か?国益重視なんて、まさに我儘幼児の極致ではあーりまへんか。トホホ