うす曇りのち夏晴れ。27℃〜31℃。じわりと気温が上がってきますただ。
なる臍と思わせる説得力:あるブログへの感想
比較的、麻生さんが好きな友人が、「あれはジョークだよ」とか「ユーモアもわからんのかなあ」とか弁護しておりました。その心情は分からんでもない。なぜなら好きとは理屈ではなくして、感情に由来するものだからです。理屈と膏薬は何処にでも張り付くと。
つうことでブログ界隈を見たら遅まきながら弁当さんが参戦、「あれは実は反語なんですよ」と極東ブログで高らかに宣言。その理由は、聴衆がドッと笑えば、それはもう「反語」だからなんだと。牽強付会な反論ではあれ、彼が麻生さんを思いやる心情は深く理解できました。ハイ
朝日の全文では「憲法は・・、ワイマール憲法が・・、ナチス憲法に・・」となっているが、弁当さんの書き起こしによれば、「憲法も・・、ワイマール憲法に・・、ナチス憲法に・・」となっているらすい。わたし自身は録音を確認していませんが、これがホントなら助詞によるニュアンスの捏造と言えないことはなーい!しかし麻生氏講演の元々の趣旨は「マスコミが騒ぎ過ぎ、それに乗じて外国が騒ぐのはけしからん。ひっそりと仲間内、国内だけで決めましょう。」てな感じ(感じしかわからんけど)ですから、ワイマールもナチスもあんまし関係ないんすよね。プ
もともとジミン党内で静かに熟議されてたってえジミン憲法草案ってのも、その根本精神が世界の潮流である人の自然権の拡大ではなくして、むしろ固有の人権を如何に制限し、国家の権力を拡大するかと言ふ全体主義傾向。こんなのがひっそりと通されたら堪りまへん。「公共の福祉に反しない限り」を、すべて「公益及び公の秩序に反しない限り」にすり替えて、時の為政者の都合に合わせて治安を強化しようってんだから何をか況や。ナチスの暴走も「非常時に公の秩序を維持するため」として始まったんではないんかなぁ?
とは言え、麻生さんの言にも聞くべきところは多々ありんす。如何に規範や諸規則(憲法)を整えても、それを適用する手続きや判断力が狂えば如何様にも間違い得るってのは、昨日のカントの判断力批判エントリでも述べているところ。如何に立派な憲法があったとてそれを施行する権力の分散がなければ水泡に帰するというのがナチスの教訓。その辺の麻生さんの認識は正しいと言へるです。
わだすが下世話に推測するに、マスコミの驕りと重箱の隅をつつく小姑根性があるにせよ、政治家の腹に溜まった膨るる思いを発散する場所が無くなったから遺憾のだ。清流に魚住まず。政治家と言へども一人の人間、イロエロとストレスも溜まりまふ。良き時代には、赤坂、神楽坂の料亭で、気心や志を同じうする同志たちと酒酌み交わしてあることないこと放言して憂さを発散できた。しかるに現今はマスコミに叩かれても発散する場所がなーい!それでついつい同志が集まる公共の場所で言わずもがなの本心が発露してしまうと言ふ構造問題。かな?ねえ鉢呂さん?
ネット上では麻生さんの発言を「ブラック・ジョーク」だと言ふ一群の人々もおりまふ。これに対して反対派は「ジョークでも言ってイイことと悪いことがある。広島の原爆被害者を揶揄したBBCのブラックジョークに日本人は怒ったではないか」とマジレスしています。これに反論するに「釣りにマジレス、プギャー♪」とは、まるでねらーの祭りみたいになったのは麻生閣下のお人柄なのかなあ。
政治信条を別にすれば、ぼくもローゼン閣下は嫌いではない。いやひょっとして好きかも。あのあどけない笑顔に隠された、から突っ張りの威張りんぼ、そりはすべて名家に生まれた馬鹿坊ちゃんの劣等意識の故なるや。無駄に闘争的な人には良くある生い立ち。それでも政策や政治姿勢のことでなく、放言や読み間違いなどの下らないことで揚げ足を取られ続けているのは可哀そうだし、やってる方の品性を疑います。人のミスをつつくより自分の品性を正しませうね。という意味ではマスコミ諸氏も実は可哀そうなのかもしれません。ジャーナリストとしての誇りも矜持もかなぐり捨てて、騒ぎ立てれば我が紙の栄、商業主義の煽り体質、金太郎飴の特落ち恐怖症、こんな職業で誰が生甲斐を持てようか。偏に婚期を逃した小姑に等しからむ。
とかやたらに長い口舌を無駄にたらたら流しけるは、手術の痛みが去ったため。躁状態は長くは続きませぬ故、しばしお目こぼしをば願います。では、これにてお暇仕る。ジャーン