6月13日(木)いつもでっかいことばっかし考えてはいられない

 終日弱雨しとしと。21℃〜22℃。湿度96%以上とジメジメ。カタツムリやダニは嬉しいかも。



 何度も言うようですが、倫理・道徳というのはある共同体の中での話。その共同体が存続できるように、公正とか善悪の規範を定めてそれに従うことです。ですから極端に言えば、共同体の外は無視します。他の共同体の物を盗んだり、他の共同体の人を殺しても(戦争とか)イイわけですね。時には英雄になるとか。そして人類の歴史は、できるだけ争いを避ける為に、この共同体の規模を拡大してきたと言えます。

 すなわち、部族から地域集団、地方国家から民族国家、国民国家からその集合体(EUなど)へと拡大してきました。それで共同体が最終的に地球国家にまで拡がれば、戦争は無くなるのですか?原理的にはそーですが、各構成体の意志を地球国家にどー反映させれるのか、とか各地域の伝統文化を保存でけるのか、とか内部での利害対立をどー調停するのかなどはぼくの思考の範疇外でやんすねぇ。




 これらは人間世界の内部の話しです。ホントの不思議は人間社会の外の方が多いですよね。生命とか生物とか花鳥風月とか。ですからぼくの興味は出来るだけ両方半々に向けれるように努力したいんです。社会とか国家とかでっかいこと言わなくても、個人のレベルでは「他人とどれくら一体化できるのか。自分というものから抜け出すことができるのか」が公正の原理になるような気がするのですが、これが極めて難しいのでやんすよ。分かってはいるが実践が困難な原理の一つでしょうか?「あなたがして欲しくないことは他人にするな!」とか。なんかこういうのはたくさんありますね。いっそ宗教に入っちゃおうかい!とか思わないこともなくはありません。でも宗教なら「汝が欲することを他人にも施せ♪」かな?微妙に違います。でもこの黄金律は両方とも自他を区別した2項原理に則しています。自他が渾然と一体化するような境地に至れば、倫理にしろ宗教にしろ、こんなことを考えなくてもイイのにねぇ。てーことは、世の中を複雑化しているのは自我ってことになりまふか。ドバッツ