2月22日(水)倫理と宗教の狭間に揺蕩(たゆた)う人生とは考

 こんにちは。概ね曇り、ちょびっと晴れ。6℃〜10℃と
気温は高め安定。ちょと目がかゆかった。今日は2が多い日。
ふっふふふ。













 濁点移動:「はがす」→「ばかす」プ わだすバカよねぇ♪
















 鈴虫の静寂(しじま)を覚ます恋の歌、倫理倫理と夜も眠
れず。(パロ)


倫理とは:共同体の中でどういう風に生きて行くのか、行動
すべきなのか?の構成員に共通な公平原則で、大勢に普遍的
に適用される善悪の価値観であーる。時代、地域で変化する
相対的なものである。


宗教とは:(善悪ではなく)自分という存在そのものを絶対
者との関係の中で問題にする存在論である。原則的には自分
と絶対者との間の1対1の関係であーる。原理的には変化し
てはならない絶対的な関係である。















 哲学的には志向される対象(ノエマ)と志向する作用(ノエ
シス)とは厳密に区分される。客観と主観と言い換えてもイ
イかもしれない。対象は客観であり、主観は働き(作用)であ
る。これを意識に適用するとどーなるのか?意識された意識
は心理学などの客観的な対象になる。一方、意識する意識(
認識主観)のクオリア(感覚質の実感)はそれを研究しよう
とした途端に客観になり消滅する。自己言及的アポリアに挑
むアフォーは誰ぢゃだれじゃ。










 しかし観測の対象たる物質と作用や働きたるエネルギーが
E=mc2といふ方程式にて変換可能とはいかなることか??
ブッシツたるmは光速cの二乗といふ物凄い係数でエネルギー
に変換されるといふのは原爆や原発で良くご存じのところ。
つまり実体(ブツ)と作用(エネルギー)は究極的には同質
ってのが近年の物理学の常識。これ、日常生活の常識とはち
とちげーよね?だから常識なんて思い込みの枠組みだっ中の!
バッハッハ


















 しかし宗教が倫理の基準を与えるってことは多々あるよ。
原理的には全く方向性がちげーんだけれど。善悪の相対性に
芯を通さなくちゃ社会はもたないってところもあるからなぁ。
いくら善悪に基準があっても、この世界は悪人がのさばり、
善人が虐げられるって不条理もあるからリンリだけぢゃ生き
ていけない。でも宗教で社会を変えようってのもあやふいよ。
どないせいっちゅうんぢゃあ〜〜〜〜〜!


















ンジャンジャ アバヨ~