5月24日(金)暇が数学を育てたのか?そーなのか???

 水色の快晴。18℃〜27℃と暖か。大潮。まん丸いお月様の中で兎が跳ねる。草木の成長が速い。そろそろゴーヤーを植えようかな?


 なぜギリシャで哲学や政治学や数学が生まれたのか?という問いには、もちろんイロエロな答えがあります。その一つに「自由人と奴隷」があります。生活面は奴隷がやってくれるから、自由な市民は議論したり考えたり好奇心に駆られて面白いことしかやらない。暇ですから証明とかいう屁理屈を積み重ねれると。
 これが巨大な中央集権国家だと、いくら奴隷がいて暮らしに困らない官僚層も色々と働かなくてはならないから、アフォな考えに浸ってばかしではおれません。ま、これが中世ヨーロッパになると学者・芸術家にはパトロンがついて奨励しますから、それなりに学問・芸術が発展しました。現代では功利的な理由から、あるいは社会の分業化が進んだ結果として、学者・芸術家層がそれだけやってても食えるようになりました。富全体に余裕が出てきた所為もありまふねィ。学者・研究者に至っては、日本だけでも自称他称を含めて、優に百万人を超えてマスカラ。芸術家やクリエーター、教育者などを加えるともっと多くなるんでしょうねぇ。3次産業従事者は既に7割をこえてますから。



 つうことで、昨日の続きに戻ると:
 ギリシャ人の弱点は、数は自然数と、その比を表わす分数しか認めなかったことですね。負の数も無限小数も、ましてや虚数などは論外。こういう頑なさが自由を本質とする数学の足かせになったと。中国や日本などは負の数の導入は早かったようです、それに算木や算盤の導入は乗除算に画期的な効率化を齎していますただ。西欧など、大航海時代以前は大学の博士といえども掛け算が出来なかったとか。ハレハレ
 それでも、その遅れを取り戻すべく星座観測で位置を特定する計算に対数表なるもの(計算尺みたいなもの)を導入し掛け算を足し算に変換して効率を上げたのは、まさに弱きものは強しの例え。
 ギリシャ人は面積2の正方形の一辺は√2ということは作図で分かっていましたが、それを自然数や分数では表し切れないので、「通約不可能量」とか呼んで、数学の範疇外にしてました。浅はかです。イデアなどという絶対真理に目覚めながら、想像上の数を認めなかったばかりにその数学の発展には限度があったのです。

 ここで無理数平方根、割り切れない分数は無限小数で表されます。しかしてπなどにその実態はあるのかと問われれば、それはイデアのようなもの。π=3.1415926・・・と無限に続いて果てしなし。掴めないけど在るにはある、っつう理想の姿。これも想像上の実体ですが、実用上は許容誤差まで計算できれば何の支障もごじゃりまへん。
 でわ、1/3は0.33333・・・と同じでありましょうかっ?
 1/3=0.3333...  を両辺3倍すれば、
  1 =0.9999...  となりますがっ、永遠に続く9がいつ繰り上がるのかは誰にも分かりません。つまり極限ってえのは、永遠の理想! しかしここで1からこの両辺を引いてみれば、
 1-1=1-0.9999...
  0=0.0000...000...... となって永遠に尻尾の1は出てきませんから右辺は、ま0でいっか。と納得する人が出てくるかもしれない。この辺の割り切り方が、数学が好きになるか嫌いになるかの分かれ道。


 割り切った人用にこがいな証明もあるでよ。
 0.9999.....は1であるかどーかの証明:

 0.9999...=X と置くと、両辺を10倍して
 9.9999...=10X となる。これから元の式の両辺を引くと、

 9.0000...=9X さて、左辺は9であるから、
 9 =9X となり、両辺を9で割れば、
 1 =X  となーる!

 つまり 0.9999...=1 となる。 QED


 ああ〜、ちかれたぁ♪ 実体に届かぬ極限を考えるってのが近代科学のそもそもの始まりなのれしたぁ。ではお時間が来たようで。さいならさいなら。スクールの語源である「スコレー」って暇という意味なのれすねぇ。どもどもども。