4月12日(金)ちょと上野の方面に寄ってきますた

 極めて雲の多い晴れ。7℃〜14℃と気温低め。空気乾燥ぎみ。



 金曜は遅くまでやっているっつうから国立博物館の大神社展に寄ってきた。普段は神社の中に納まっている国宝・重文が一挙に拝めます。ことしは伊勢や出雲で遷宮が重なりますから、神社団体としても力が入ってます。でも観客は少ないと。パワースポットなど神道ブームかと思いきや、意外と若い人は少ないですゥ。とわいえこれは人口構成そのものがもたらす風景かも。で、じっくりじっとり2時間かけて見て回りましたが、やはし自然の人格化ってむずかしいです。厳しいお顔でおっかないけど、日本の神様はやくざかよと。できるだけ顔を合わせずに通り過ぎたいのかな?仏教のようなやさしいお顔は皆無ですねィ。でも自然ってそれだけ無慈悲で恐ろしい存在なんでしょう。地震津波だけを見てもね。怖れ敬いつつそれに溶け込み共存する知恵が、日本の神道かと。山川草木悉有神性!山も川も海も大木も巌も滝もすべて神性を有するのが大和の自然観。厳かかつ面白き気持ちになって、帰りに上野の仲町で一杯飲んできた。ここも通行人よりか呼び込みの方が多いっつう危険地帯のパワースポット。日本の神仏習合の歴史は長いですゥ。こういう精神世界が維新の洋化を早めたといへるのかもしれません。ども。





 おお〜、そーいへば今思い出しましたが、展示会で純朴そうな研究者と尻合ったんだった。神鹿の像をしげしげと見ていたら、親切に説明してくれたので色々とお話しすることになって意気投合した。それで仲町に繰り出したんだった。日本の中世から近世にかけての思想史の研究者で神仏習合の経緯にえらく詳しいのですゥ。血筋はなにやらやんごとなき辺りかも。それで日本のShinto Shrinesの社会における役割とか歴史について色々と伺ったのれすが、なにしろ酔いが回ってましたからその大部分は忘れてしもた。でも潜在意識下にはしっかりと根付いているような希ガスる充実した夜。共同社会幻想と顔が見える社会の拡張。昔の幕藩体制の功罪。スモールネットワーク理論。など切れ切れに浮かび上がる想念。ああ、この世は一炊(一睡?一酔?)の夢かよと。ダハハ、ダミダコリャ