4月23日(木)国体とは何かっ!天皇制と戦後安保体制

 空色のかすみ晴れ。12℃〜24℃、38%と暖か。もう少しで夏日でした。







 天皇制とは:

 源ちゃんの言によると、明治維新を駆動した一番の要因は、天皇制の創作とその利用で、国家神道と共にそれまでの二千年の歴史とは全く乖離した創作だったのです。もともとの発祥は女系で、民の安寧を祈ることだけが役目だった天皇を、統帥権で祭り上げたのが討幕の象徴@錦の御旗だったのれすぅ。僅か150年ばかりの歴史に杉ないのれすぅ。

 そして戦前体制の生き残りとして安保を改定した岸元首相の雪辱と、戦争体制の確立に祭り上げられた昭和帝の贖罪の対決が、今ここで子孫によってぶり返されている。日本国憲法日米安保条約(ひいては日米地位協定)という二つに引き裂かれている安倍ちんは、時には従属またあるときは反抗と対米行動に於いて引き裂かれているんですぅ。反して今上はひたすら平和主義で慰霊鎮魂の旅。完全な従属国体制なのに、衣食足りて反抗を知らず。仮想敵を沢山作って支持率を上げるのは中国、ロシアの手口。日本もこれに倣ったのは、成長したのかしないのか。

 昔は進化論も弱肉強食のみが誇張され、優性論などで弱者が間引かれた。生命の大本を戦いと見るか、共生とみるのかで、世界の解釈は正反対になるんだすぅ。ま、実際は濃度の問題で両者が入り混じっているのが実情ではアルマイトロートル左翼は天皇制打倒でゲバ棒を振ってたが、今さらながら天皇制が残っててエがっただすぅ♪と反省してるんではアルマイカ!祭り上げたほうがワルイのか、はたまた祭り上げられた方がヨワイのか?加害と被害の相克は、重層的な歴史展開を引き起こします。

 ↓関連して祭りごと(政ごと?)について、ちと調べてミタ。






神道の虚像と実像」:ちょっつ立ち読みで調べてミタ。

 元々アニミズム系統の神祇道、修験道陰陽道律令と共に渡来した仏教と習合したのが奈良時代です。それ以前は各地の地神が大和に統合されていった時代ですぅ。これは中央政府の命に基づき全国的な規模で創出された、官社と呼ばれる常設神殿を持った新しい宗教施設であり、支配のメカニズムですたぁ。古代日本の宗教は異なる儀礼体系の複合的集合体であり、神道はその一角を構成する漠然としたものにすぎなかったんれすぅ。次は鎌倉時代に理論的統合を図るため本地垂迹説(仏主神従説)や神国思想(諸国一宮で発達した中世日本紀を基礎とする)が登場し、伊勢神道では神社の祭神が天皇神話上の神々に変貌し、神道はそうした神々についての思想的解釈も含んで、日本固有の意味を持つようになったと。

 室町時代の末期には吉田神道が登場し、反本地垂迹説で神道の下に仏教、儒教道教などを融合した。江戸幕府は寺請制度と並行して、唯一神道を掲げる吉田家を通じた神社統制を行ったが(この結果、宗教儀礼の社会的習俗化が進む)、中世以来の融通無碍な多神教という民衆信仰の実態はそのまま続いた。
また江戸時代には儒学神道復古神道が登場し、神道は宗教的装いをもった政治支配思想、国体論としての色彩を強めて行った。

 このような状況の中、維新政府は列強との対抗上、祭政一致を目指し、「神仏分離」を行うと共に、教派神道と区別される国家神道を創出したが、それは日清・日露戦争期に全国神職会と民衆によって支持され、軍国主義イデオロギーと化してゆくのであった。つうことで、柳田国男国家神道に対置した「固有信仰」は、上記の歴史を踏まえないものであり、いずれの時代でも神道の中心は政治支配思想であったと見て、今後の神道は融通無碍な多神教を構成する一部に徹するべきだと主張している。