9月14日(土)鶺鴒(せきれい)が鳴き始める頃。宗教の利点・欠点は分かるんですが。

 朝の内霧雨なるも、のち曇り。20℃~25℃、74%。今日もすずすい。非常に久しぶりにノルディック・ウォーキングだん。最初の内は、歩き方を忘れてしもたです。

 

 

 真っ当な宗教とは:

 内田樹氏によると、日本には真っ当な宗教が無いと言ふ。しかしてその原因は、飛鳥時代から明治まで1300年間続いた神仏習合が明治の神仏分離令で廃仏棄釈が行われ、国家神道という安っぽい作り物に変えられた所為だという。このそもそもの遠因は、ナショナリスティックな国学の攘夷・排外思想で、これは前大戦の敗戦まで続きます。あん時は敵性文化や敵性言語などなんでも禁止されてましたね。頑迷固陋!敵を知らず己をも知らずんば百戦危うし!

 つう事はさておいて、イロエロなカルトは出てくるが、それが少しも国民の救済にならず、却って苦しめているのはオウムを見ても明らか!最近のN国党も同じ手口でネット上の妄想を垂れ流して、それを毎日聞いている者を洗脳同化しているよ。いやいや、繰り返し再生っつうのはおとろしい効果を上げますんや。自分が作った妄想ストーリーほど強固に信じられます。ま、いわゆる一つの陰謀論ですね。こりはどの世界でも見受けられまふ。

 そして日本の宗教を再興させるのは、廃仏毀釈で唯一生き残った修験道を元にするしかないんだと。何しろ1300年の伝統に基づいてますから、そこら辺の似非心理学を応用したぽっと出ではあーりまへん。西洋の一神教を変に真似した国家神道にはもう先はありません。あれは薩長政権に協力した者だけの閉じた宗教なんすね。西郷さんだって祀れないくらいですから。

 大それた妄想を大上段に掲げる宗教よりも、生活の延長の中で霊的に緩やかな向上心を育て、旅など(お伊勢参り?)で好奇心を熟成できる1300年の伝統に今こそ立ち返るべきであーる!戦前に戻ってなんとする!ってのが、日本の生きづらさを救うんだと。ども。

 ま、わだすはそもそも狭隘な物理主義者ですから、そもそも一切の超越的な存在を信じれない哀れな子羊です。いやタマムシでした。ショボーン

 

 いやいや待てよ?初詣の清々しい感じや、切羽詰まった時の神頼みは確かにありまふ。ミスが続くとお祓いしてもろたり、プロジェクトを開始するときのお清めとか、ルーチーンで気持ちがすっきりするとか。こういうのも霊的経験の一部なのかな?