2月1日(金)ほんのちょっと為になった音楽の話し

 晴れのち夕方から曇り。3℃〜12℃、風もなく暖か。ちょと鼻の調子が悪い。もう花粉の季節なのかな?


 昨日はプチパーティのあと梯子して飲み杉てしもた。知人である作曲家(たしかN響アワーの司会をやってたような?)の話しがおもすろかった。この方、親父ギャグ(駄洒落)が飯より好きで1分に1回は地口をかます。500本以上の劇音楽を作りラジオ、TV音楽に関してはその数知れずと。いわく、「音」は生きていてまるで「水」や「風」のように動き回るとか。それを如何に操るのかが作曲の要ていであーる!風の音は倍音構造で自然界の音は風で代表されると。水は放っておくと落ちますが、音もおんなじ。それを持ち上げる手立てが作曲の技術であーる。また自然界は長調であるが、短調は人工的で気持ち悪い。これを上手く入れ込むのも技法。あちこち動き回り引きづりまわされる音を手綱をもって制御する犬の散歩と似ていまふ。ま、この最後の文言は流石に理解が難すい、作曲は音の散歩? おーそれミーヨとかアマデウス40番を例に実際の落ちる音の持ち上げ方を実演してくれたが、これは良く分かった。たたたん↓、たたたん↓、たたたん↓たん↑とか。モーツアルトはプロですが、アマデース♪なんてギャグを混ぜながらの尾も白いお話ですた。音は戻るときに緊張する、音は休符でも緊張するってのは分かり易い。劇音楽に関してはある1シーンを・活発な音楽、・悲しい音楽、・異化効果、・感情強調にするかはそのシーンだけではなく全体の状況や文脈依存で決まるから百通りはありうるだと。正解はなーい。社歌もイロエロと作ったが、これはその方面の専門家も多いですからシャカに説教でしょう。なにしろ元気で盛り上がる音がよろしいだと。
 「音は生きているとおっしゃいましたが、悲しい音、元気な音、始まりの音、終わりの音などは各民族に共通で先験的なものなんでしょうか?」と聞いたら、「これは人類共通の感覚でアール!だから音楽で世界を結びつけることが可能なのですぅ!」と断言しておったぞな。ま、言葉による相互理解を補強する有力な手段ではあろうねィ。前に書いた口笛で会話するピダハン民族などもいるしね。ピューピュー
 最後にとっておきのカリブ海ギャグを披露してくれたから書き残して記念にするなり。
 カリブ海の国を全部入れ込んだリストラ・ギャグ:
上司:きみは今日からハイチ替えだ。
部下:ええ〜っ、そんなバハマ
上司:我慢してくれ、キューバしのぎだ。
部下:じゃマ、イーカ。
上司:苦労がプエルト、リコーになるよ。
部下:ドミニカなるでしょうか?
上司:88こしいことは抜きにして、元気で8って行きましょう8。
ぼくも一つ思い出したど。「おいしかった〜、吉良負けた。ああ旨かった、牛負けた。」先生のさぶいギャグ:「みんないるか〜?いない人は手を上げて。」タハハ







 次々と体罰が問題化しているから全国のど根性コーチやど根性教師は戦々恐々でしょうねぇ。一方、モンスター・ペアレントたちは我が世の春かよと。プ