1月26日(土)理性と感性の狭間

 極めて雲の多い晴れ。2℃〜7℃と低め安定。本屋でも咳をしている人多し。フルーの次は花粉かよ。やれやれ。


 「絶対」が大嫌いな人を見っけ!「モーリス・メルロ・ポンティ」つう20世紀前半のおフランスの哲学者。理性と感性のアンビギュイテ(両義性)を追求し、知性よりか知覚、理性よりか身体性を重視した。「視点(立場)拘束性」によりものの見方は立ち位置によって全てことなるという思考の相対性を主張した。フッサール現象学から出発し、後の構造主義哲学へと橋渡しした草分けと目されてまふ。猿獲ると親交があったが後に喧嘩別れ。比較的若くして(53歳)亡くなった。ふむ、気が合いそーだから少しフォローして見よう。もっと早く気がつけば良かったなぁ。何しろ哲学者ってゴマンとおりまふからねィ。ザンネン


 時折感情にゲシュタルト崩壊を起こしまふが、5感(視聴味嗅触)に感情が付随するってのは先天的(アプリオリ)なものなのか?悲しい絵や楽しい音楽ってあるけど、哀しい味や臭い、寂しい感触ってのはあるのかな?感情は主に扁桃体で色づけられるから感覚に感情がふっついても不思議じゃない。苦さつうのは毒物を見分ける為に感じるのだという説もあるが、最初は嫌いでもビールのように後からその苦さが癖になるってこともあるから、後天的に嗜好がかわるってのもありなのかな?ピーマンやニンジンが嫌いな子供は「好き嫌いするんじゃありません!」と叱られるけど、味覚受容体のたんぱく質のバラツキでもともと不味く感じる子供もいるそうだ。これなんかは先天的な嗜好の偏り、お母さんは良く理解してあげませうね。
 ウチダ・たちゅるセンセが<これは苅谷剛彦さんがつとに指摘しているように、知的能力や身体能力には個人差があるが、「努力する能力」には個人差がない、という前提に立つ考え方です。だから、生得的な能力が低いことは処罰の理由にならないが、努力が足りないことは処罰の理由になる。>としてメリトクラシーを批判している。努力しようとしてもできない人もいるという前提で、人を責めないようにという主旨には賛同できまする。生まれつきか、状況依存か、一時的な病かは別にして確かに誰でも何時でも甘えじゃなくても努力できない時ってあるのさ。こういうとこは彼も優しいね。ズッシーン



ビールってフレッシュローテーションつうのがあって、古くなると不味いのだっちゅうのを忘れとった。今飲んだバーゲンで半ダース買ったやつは極めてまずいですぅ。ぺっぺ  やはし少しくらい高くても回転の良いところで買うべきだっ!いじょ、備忘まで。