1月13日(日)言葉は認識の道具立て

 晴れ。1℃〜13℃。昼間は暖か。


 人間は言葉によって認識の範囲を拡げてきたというのは確かなように思われる。特に抽象的な思考は言語なしには考えれません。自由とか平等とか。精神とか真理とか。言葉が無かったら誰もそんなこと考えないでしょ?数学も自然界を表現する言語の一種と考えれますから、数式でしか理解できない物理世界があるというのも類推できます。量子の世界とか多次元宇宙とか。人間が認識できる世界とは、人間がその時の認識手段にて構築した世界なのれすぅ。




 小津映画のいいとこはストーリー立てよりか、細部をジックリと描いて人情のごくわずかな機微を浮き上がらせるとこでしょうね。そういうとこが世界で評価されてるってことは、人間社会の底流は一緒だっつうことだすか?表面的には多様な世界の文化も底の部分では重なり合うと。親孝行したとか婚約したとかビーテレ買ったとか何気ない事柄を1本の映画にしてしまいまふ。神は細部に宿ると。つうことはドラマチックな世界が実は何気ない日常生活の中に隠れているといふことですか?ハレはケの中に宿ると。ドラマツルギー





 そうそう昨日鳴きカエル(M)が届いたのだ。その諸元、7cmx7cmx11cm(幅x高さx長さ)。鳴きカエル(L)と較べると孫のような大きさ。その代わり鳴き声が高くなって、ケロケロkロリンととても優雅です。朝晩これで自然に浸れるかも。





  屁理屈の極致:体罰容認論を完璧に論破できる12のQ&A
http://anond.hatelabo.jp/20130113151019
でも、こういう屁理屈って好きだなあ♪ぼくの気持ちを代弁してもろてるようでスッキリ。日本人のアノニマスにもこう言うのが出てきたんだ。でも完璧な理論家にも多少の不安は持ってほすいな。なにしろ正解のない世界ですからねィ。