10月6日(土)少し蒸し暑い秋の日にお墓詣り


 曇りのち晴れ。朝もやに四面霞む。22℃/27℃、96%/66%。ちょと蒸し暑い秋の陽。



 朝早く起きておむすびをこさえて郊外にお墓詣りに参る。野山は既に秋たけなわの風情、ススキや赤トンボや彼岸花。お墓の左右の植え込みはカイヅカイブキでこれはよく芽を摘まないと尖がって貧相になってしまうのです。お墓詣りの度に頂芽を摘めば丸くて豊かな植相を示します。だから良くお参りをするとことしないとこが判然としてしまう植物なのれすぅ。わたしのとこ?それはもう豊かに丸々と♪



 お坊さんの法話:その前に横に座ったおばあさんが突然ころころと笑い出しますた。「お、お坊さんがつるっぱげげ〜♪わっはっはっはっは、お坊さんが禿げてるぅ♪ハッハッハッハ〜♪」と笑いが止まらぬ様子にて、周りの顰蹙を買っていますた。その娘さんは困った顔して呆れ気味。お坊さんはみんな頭を剃ってますから、たぶんその青いところと日焼けしたところの斑模様に可笑しさを感じたのではなかろーか?
 法話諸行無常諸法無我・・・みなさん自分の手の爪をじっと見てくらはい。その爪はいつもおんなじれすか?それとも伸びますか?また、その爪をじっと見て「伸びるなよ!」と念じたら爪は伸びませんか?必ず伸びるでしょう。それが仏教の教えです。いかなるものも必ず変化し続け常に止まることなし、またその現われはいくら自分が念じても留めようがあーりません。同じように人のこころは自分のままにはなりません。自分のこころを整えるしかないのです。自分ができることをやりませう。
 利他行:人のために、瞬時に・無条件に・報酬を求めずに行う行動が利行(利他行)です。これは本来誰にでも備わっている性質ですが、怒り、貪り、愚痴る行為によって毀損されてしまいます。本来の自己に戻りさえすれば幼児が溺れかけたら必ず助けるでしょう。しかし難しいのは自分の子供と人の子供が溺れかけたら、どちらを先に助けるのかですねぇ。(もぉ〜、折角納得しかけてるのに難問をだすなよなっ!)
 とか仏教の真髄を30分でマスターした玉虫ですた。ど、どもども。


 




 本官さんが逝ってもうたなあ。「北の国から」の五郎のいとこ、純と蛍にはおじさんの役は泣けたなあ。純と蛍の母親の葬式で貨幣経済に反抗するところ。そして純と蛍が棄てられた靴を捜しにいくところ。平田満ホンカンも泣けた。本官さんも笠智衆さんと同じく昔から老けてた感じ。たぶん弁当さんみたいに高校生のときから老けてる人っているんだろうな?束の間の個性を光らせ、みんな逝ってしまうんだ。そして後は寄せては返す渚にて。1万年って100年が100回、1億年って1万年が1万回、地球の歴史46億年ってそれが46回、生命の歴史38億年ってそれが38回。計算はできるけど、実感は誰しも為しあたわざるわざなり。無窮の時を隔てて、逝っちまったあ〜〜〜





 佑ちゃんがまたファームに行っちまったなあ。CS向けテスト登板で5回もたずにKO。もう四の五の言わずにフォームの大改造をするしかねーんじゃね。だいたい6大学の力が落ちているような希ガス。大石も福井もあんまし活躍してないし。マラソンで言へば駅伝の雄がアフリカ勢に惨敗するようなもの。そもそもの実力が違い杉。