8月29日(水)蜩(ひぐらし)の声木霊する残暑かな(玉虫)

 ちょっと雲の多い晴れ。雲のおかげで気温もちょと低く30℃前後。


蝉たちの夏も終わりに近づく。子供の頃は、夏休みの終わりを告げるヒグラシ蝉の鳴声が寂しかったなあ。カナカナカナカナ〜〜
ゴーヤー棚も終わりに近づく。実があまり大きくならずに、初期の半分くらいの大きさで黄色くなってしまいますぅ。
残暑の30℃超えも終わりに近づく。という気配なし。夏バテで倒れそう。助けておくれ♪






 「助けて下さい。」「お助けくだせー!」「助けてちょ♪」というのには恥かしくて、惨めな感情が湧きます。でも、共助社会ならそれが普通に言えなくてはなりません。自立自尊が行きすぎると、ギスギスした競争社会、闘争社会が出現しますのだ。
 お坊たんの修行にも托鉢というのがあって、乞食(こつじき)して回ります。主張する自分を捨てて食を乞い、感謝の念とともに衆生の平安を祈ります。でもこれは我欲を捨てるが本旨の小乗仏教系で、大乗仏教は所有を必ずしも否定していないから経営仏教で税金ゼロ。だから托鉢はしてません。托鉢での実入りは全員で平等に分けたり、貧しい人に与えたりしますから、これがホントの贈与経済かも知れませんねぇ。「なぜ助けてと言えないのか?」なんて苛めの分析を読んでて、ふと思った次第です。
いじめの分析でいちばん納得でけるのは、2007年に中島よしみっちゃんの書いた「みんな一緒主義の弊害」ですかねぇ。(「人生に生きる価値はない」より)