7月20日(金)分けて片寄りゃ疲れます

 曇りのち一時雨。湿度高けれど涼しい。


 イタチ・インスパイア・ザ・ネクストに招待されたので東京フォーラムに行って見た。一言で言えば技術オリエンテッドへの回帰だすな。需要とかお客様は紙様だとか市場主義的なことは言わない。技術で先導して価値を創造するのだっ!との覚悟の現れ。次に五木寛之老師のご講話を拝聴。曰く、「日本人の忘れ物」。
 2年程前のブックフェアで、「鬱の時代は無理に明るく振る舞わないで、鬱になってたらよろしい」なんてゆってた論調の深化なのかな?一種の「幸福論」。
・「たのしみはまれに魚煮て子ら皆がうましうましといひて食ふ時」(橘 曙 覧)
・「朝焼け小焼けだ大漁だ オオバいわしの大漁だ 浜は祭りのようだけど 海の中では何万の いわしの弔いするだろう」(金子みすず
 前者は淡々とした日常の中のささやかなしやわせ、後者はしやわせの背後にナイーブな感受性。どっちも永続はいたしませぬ。
 戦後67年突っ走ってきたが、「豊かさの中の空しさ」が日本全土を覆っています。しやわせの青い鳥(GDP?)を追い求め、掴んだとおもたらスルリと逃げる幻か。元々しやわせというものは、繋ぎ止めることが出来ないと言う本性を持ってます。前を向いて、遠くを見ながら、積極果敢に挑戦するという極めてポジティブなプラス思考信仰に疲れがでてきたとか。
 このことは、迷い、悲しみ、後悔し、嘆き、泣きじゃくるというマイナス思考が抑制され潜在化した反動の現れ。実はプラス/マイナスは表裏一体にして、どちらかが衰えれば他方はかすむ。仏教の根本教義である「慈悲の教え」にこれが端的に表れています。即ち、「慈」の原義マイトリーは明るく前向きに衆生を慈しむプラス面(ヒューマニティ?)を、「悲」の原義カルナーは呻き悲しむどろどろとしたマイナス面の感情を表わす。これが一体となって人々を救うのです。
 「笑うこと」は免疫力を強化し体にいいのは確かです。しかし、ちゃんと悲しまないと心から笑うこともできません。明治以前の人々は何の抑圧も無く、良く泣き悲しみ嘆きました。柳田国男の「涕泣史談」にも日本人は「良く泣く民族」だったと書いてありまふ。ちゃんと泣いて、ちゃんと笑いませう。マイナス思考の大切さ。チーン、ナムナム