1月30日(水)しむのは悲しいのだ

 快晴。4℃〜13℃。北風やや強いが昼は寒気ゆるむ。


 <「◯◯君の死を無駄にしてはいけない」式の言い方は、自殺に意味を賦与する側面を持っている。のみならず、苦しんでいる人間を自殺というアピール機会に誘引する動機にもなる。>つう言及を@tako-ashi氏がしていた。なかなかこんな事は言えないし、少し嫌な感じがしました。でも一面の真実を語っているような希モスる。言いたいことを自己規制しないで発言すれば黒い物言いも出てきまふ。戦時中の和平派が「そんな事を言って、お国の為に戦った兵隊さんの死を無駄にするのかっ!」といふ恫喝に怯んだ事例を思い出しまふ。それがひいては特攻隊に繋がったとか。民族のミームには慣性力が働くと。



 「悲しい」のゲシュタルト崩壊的な感想にインスパイアされて:
「汚れっちまった悲しみに いたいたしくも怖気おじけづき 汚れっちまった悲しみに なすところなく日は暮れる・・」
音にも声にも色にも固有の悲しみがあるってどういうことなんだろうか?味にも匂いにも景色にも悲しみってあるよね。慈悲の悲ってなんだ。
こんなエントリがあったど(2012-07-20 )。『このことは、迷い、悲しみ、後悔し、嘆き、泣きじゃくるというマイナス思考が抑制され潜在化した反動の現れ。実はプラス/マイナスは表裏一体にして、どちらかが衰えれば他方はかすむ。仏教の根本教義である「慈悲の教え」にこれが端的に表れています。即ち、「慈」の原義マイトリーは明るく前向きに衆生を慈しむプラス面(ヒューマニティ?)を、「悲」の原義カルナーは呻き悲しむどろどろとしたマイナス面の感情を表わす。これが一体となって人々を救うのです。』 喪失、共感、同情、恨み、孤独感などの放出。このような感情が何故進化のフィルターを通過して今まで残っていたのか?これは絵の具の「白」に対する「黒」としか言えませんねぇ。黒の魔術師エドモンド?コントラストを失えば、この世は如何に平板に薄っぺらい幻影になることか。即ち「悲しみ」も存在の根源に迫る一つの要素であろうかと。ズッシーン