7月15日(日)今日は西瓜記念日

 寝苦しい一夜が明ければ今日もまた高温多湿の亜熱帯気候。

 今夏はサーキュレーターだけで過ごそうかとおもたが、すでに汗疹ぎみなので気力がなえる〜。ヘロヘロ



 いじめ考:ひとのふんどす3題

 ・市場競争原理を教育現場に持ち込んだのが元凶。周りはすべて潜在的な敵と化しセンセは個人識別がでけなくなるのだあ!(内田樹老師)
 ・優しさや協調性が実はいじめの元なのれすよ。協調性が無いことがいじめの原因ではなくって、協調性が無いことを咎める風潮がいじめを助長するんだす。(中島義道ちゃん)
 ・強者が強者の論理で動くからいじめはなくならない。弱者は定義から言って力がないから強者が変わらなければイタチゴッコ。(天木直人センセ)

 絶対的な悪と認識されていれば、それを無くすくらいの知恵が人間にはあると信じたい。そういう見地からはよしみっちゃんの認識に共感できまふ。良い面の影になっているとなかなか改善できずに潜在化してしまうと。最後のしとはよく分かんないけど、前二者は小学生の頃からいじめを受けている被害者だったす。幼少の当時は協調性を乱す人柄だったと推認でけます。良い事、正しい事、美しい事、の裏にも目を配りましょう。




 ・生きた経済ブログ(自由人)てのも読んだので追記
http://freedom-7.cocolog-nifty.com/blog/2012/07/post-4cc3.html
 いじめゼロ運動がいじめを無かったものにする隠ぺい体質を生んだという見解。いじめを見つけてそれを是正するよりも無かったことにしたほうが評価されるという評価基準が暗黙の裡に形成され、生徒も先生もいじめがあったとすると仲間外れにされてしまういじめ空間が形成されてしまったと、工場のゼロ欠点運動のアナロジーで解釈している。教育関係者全員がいじめを認めていない現状に鑑みれば、頷ける意見ではある。ま、原発の安全性とも一脈通じるところもあり、ある程度納得できる。しかしこのシステムは公立で顕著で、私立では自浄作用が働くとしたところはちとちげーような気がした。ゼロ運動が却って解決を遅らせるという逆説的なところは興味深く、個人的には賛同でけまふ。