7月9日(月)選ばれたから万能、ってわけでもなさそ


 久しぶりの晴れ。気温も28℃近辺まで上昇。


 仲間ってイイんだけど、仲間で仲良くするってのの副作用で仲間以外を排斥するふいんきが生じるんじゃないのかな?そふいふ意味では、ゆるい仲間がイイような希ガス。あまりにタイトな関係だと閉鎖傾向が助長されまふ。異分子に対する寛容さがないと、いじめが生じまふ。問題は弱い人ほど寛容よりか応報に偏ることです。でも、共同体は最弱者が自尊感情を持って暮らしていけるところだとすれば、感情移入できる範囲に自ずと限られると。おおよそローマ軍団の100人隊。百人隊長が百人集まって1万人の軍団。軍団長が百人集まって100万人の総司令官が一人。現代ならそれが百人集まって1億人の国家を成すと。100の4段階で1億人を治めれば、それぞれの段階の長は気心の知れた範囲となーる!てのが顔の見えるミンス主義ですが、4段階も遡ったら伝言ゲームの様相を呈する。で、1億人で一発で首長を選べば、これはこれで抽象の極み。メディア、利益団体を含めてどんな小細工も可能なるべし。
さてヒューマンスケールの連鎖か、一発での直接ミンス主義か?どっちもどっちですが、どっちがエエんやろ?寛容が肝要って言っても、ときに寛容は身を滅ぼしますからここは熟考を要する所ですね。


 この世のことはすべて偶然から成り立っている!といふ見地から「縁」の思想が始まる。つまりそれは偶然からしか始まらないのですから、偶然が逆に意味を有すると。一期一会の縁?味がありまふねィ♪




 細かい非典型例は別にして、一般的にすべての事物は功罪相半ばするとする。すると共感したり反発したりは己が内心の表明にして、すべて主観であーる!即ち内心の吐露に杉ないと。どや?