2月17日(木)日常破壊から逃れうるのは、常々日常を常態と見做さないことだけ


 こんにちは。薄曇り。気温高め。夕日が雲間からきらめく。
夜半雨ぽつぽつり。
















 今まで通りの日常がズッと続いて行くなんてことは、ホント
は絶対にないんだけど感度の鈍い人はそれに気が付かない
振りをする。年年歳歳花相似たり、歳々年々人同じからず。
或る日、フッと親しい人が居なくなったり、また違う人が
現れたり。人生ってのも絶えず流れているんすね。それらを
切り取り繋ぎとめてるのが思い出ってもんすよ。だから、
淡々とした日常が突如激変し、生の世界に晒されたときの
救いは過去の楽しい思い出なんす。これも一つの財産。
諸君も今からたくさんイイ思い出溜め込みませうね。ズッシーン


















 人は何を以って生きれるのか?そりはパンかコメか玉蜀黍
か?いえいえそれだけでは生きれマセーン。人は何かを信じ
て生きていくのれす。自分以外は誰も信じれねえ!いや自分
自身も信じられなーい!何もかもが信じられない!となった
ら、人はしにます。何か一つでも信じれるものがあれば、そ
れに縋って生きていけまふ。科学でも宗教でも人の和でも
価値観でもプリンシプルでも趣味でも山登りでもなんでもイイで
すハンソン。信じる者は救われる。これは人間存在の原理で
すね。おいはこころからそー思いますです。で、ちみは何を
信じるのか?実はそれが見当たらないから困ってるのれすぅ。
でも、そういうしとは日常に埋没して日々の自明に囲まれて
生きてはいけます。次の日常崩壊が起きるまではねっ。タハハ


















 科学は価値中立で単なる手段である!つう考えと、科学
的なものしか認めませーん!つう価値基準的なのとに分かれ
まふ。ま、前者だって「役に立つのはエエものだ。」といふ
意味では価値基準だけどね。だけど誰かの役には立つが、他
の誰かには害になる、ってこともあるから科学をどー使うか
っつう科学倫理も必要になるのでせう。特に脳科学なんかが
人格の操作に使われたら最悪ですね。知識は概ね良い方向に
働きまふが、時には知識を悪用する輩もでてきまふ。或る心
の動きが何でなのかが分り、それに気が付けば改善でけるし
メタな視点を獲得できるから「こころの科学」はイイこと
なのかも知れません。















 疾風怒濤か心の平穏か、それが問題だ!



















ドリャ~