6月7日(月)知りたいけれど知りたくない、僕の未来

 こんにちは。うすら晴れのち薄曇り。湿気が多いかも。
暑かった。ちょと歩くとすぐに額に汗あせ。






 地面を見るとアリの偵察隊がうろちょろ。もしも僕がアリンコ
だったら、嫌だなとふと思った。だって何時人間に理由もなく
踏み潰されるか分からないからね。これが先の事を推測する
能力の副作用です。何かを犠牲にしなくちゃ、何かを得られ
ない。先を計画して準備する能力に付随して杞憂も取り入れた
と。ヒラヒラと花から花へ蜜を吸う蝶々も、何時虫取り網に
絡め取られるか不安でイッパイ。悠々と風に乗って遊弋する
ギンヤンマも油断していると鳥が上空から襲ってきますよ。
つまり虫たちが生き生きと楽しげに生活してられるのも、何
も知らないからですね。知識のパラドックス。知るも不幸、
知らずも不幸とは、
どないせいっちゅんじゃあああ!














 日本では関ヶ原会戦をやってた頃、おフランスでは哲学の
父@デカルトが活躍してました。同じ頃、どエゲレスでは
フランシス・ベーコンが合理的経験論の基礎を固めており
ました。こちらは後の英国、米国の科学的方法論やプラグマ
ティズムの系譜につらなる、近代哲学のお母さんと言って
イイのかも。ま、大法官など要職を歴任してたから、哲学的
な体系に纏めるヒマもなく比較的小粒に思われてますが、実
デカルトに勝るとも劣らない傑物だったのれすね。オッホン














 彼は人間の能力を限定的で相対的なものとしたが観察や
実験あるいは推論を重要視した。しかしそうやって認識でき
る以外の自然の秩序の方が大きいとも言っている。知識は力
なり、と言う一方で「知性は感覚よりも間違いやすい。」と
して先入見(イドラ)の危険性をも見抜いています。





1.種族のイドラ:ヒトとしての本質に根ざしているもの。
  種族としてのくびき。サルやオオカミではないもの。


2.洞窟のイドラ:各個人としての偏見などの欠陥(洞窟)
  を人間は持っている。


3.市場のイドラ:文化、社会などの人間集団としての先入
  見。社会通念や常識は社会ごとに異なる。


4.劇場のイドラ:哲学や神学の様々な教説の先入見。哲学
  者の数だけ論があり、それぞれが架空的で舞台的な様々
  な世界を作り、劇場型の偏見を生み出している。






って、関ヶ原の頃にしては結構シニカルで本質を突いている
と思いませんか?なぬ!思わない。はい、そーですか。ではでは。