5月16日(日)進化なんて実感できねえからポントリャーギンかも


 ごむばんわ。概ね雲の多いふぁれ。外はさばやか。


例年の如く晩春の体調不良が現れたるか。嗚呼 節々が
痛くって熱っぽくってダルビッチュ。おまけに運悪く5mm
くらいのほんのささやかな段差で、あろうことか右足の
人差し指だけピキッと当たって挫いてしまった。そこの
第一関節だけが青紫色に腫れ上がっている。トホホ









 ふと思ったのですが、人間の感覚はある時空(時間空間)
のホンの狭い間隙に押し込められている。大陸移動の実態
も観取し得ないし、ハチドリの羽ばたきも認識すること
あたわず。故にこれを認識空間に写像するには時間を早め
たり遅くしたり、空間を拡大したり縮小したりして、我ら
が狭い認識時空にシフトしなければなりません。









 これに資する一つの手段がシミュレーションではあるまいか?
例えば、あるランダムな突然変異による適応進化のモデル
をコンピュータ上に構築し、一世代を数マイクロ秒で交代させれば
1億年の進化の過程が目の前のモニター上に現前せしめれるか?
1万年が1万回というような膨大な時の流れは人間力ではムリ
ムリ。であるから斯様なシュミレーションが可能なら極めて説得性の
ある理論が構築できようか。ポスドクの阿呆がいたら挑戦
してみたら?









 でも、そんな進化モデルが構築でけるくらいのワル知恵が
働くならば、それで動植物の生育モデルなどを売り出して
世のオタク共の共感を得ればウハウハに儲けられるぞよ。
たまごっちの超精密モデルとして盆栽オタクや薔薇オタク、
はたまた蘭とか菊とか虫や鳥類など何にでも応用が効くけど
そのアルゴリズムに神秘性をもたせることが一つの箔付けになる
からランダム性や御神籤性を隠し味にしなけりゃならんぞよ。










 ぼくはむかしポントリャーギンつう盲目の数学者を尊敬し
てたんだけど、数学の論文なんて勿論点字になんかなってない。
お母さんが読んでくれる論文を全部記憶の中にしまいこんで、
自分の新たな定理を追加できる脳って素晴しいなとおもた。
感覚の主役@視力がないと、そのエネルギーは素晴しい記憶力
に流れ込み、余人の到達し得ない高みに達すると。










 だから、我らは欠落を恐れるのではなくって、むしろ豊穣の
驕りこそ自戒すべきであろうか?こないだのひろゆきの幸福論
に接してそんなことを思った。いじょ尻滅裂なエントリも全て
晩春のダルイ気候の故なりと、お許したもれたもれ。