こんにちは。さぶ曇り。
「愛や義をお教えすることはできまする。しかし志は御貸し
することはできませぬ。」(by 過熱具)
「馬を水場に連れて行くことはでける。しかし馬に水を飲ま
せることはできませぬ。」(by 英国 諺)
「苗が成長しないので、引っ張って長くしようとしたらば、
みんな枯れてしまった。」(助長 by中国古典)
「哲学に導くことはできる。しかし哲学は教えることはでき
なーい。」(by カント)
その問題(問い)とは各自で皆違うからですね。何気なく
流れ流れている日常のなかの岩、何に引っかかりがあるかは
人それぞれで違うからです。問題にしなければ無いもおんなじ。
「あれっ?」と思うか思わないかはみんな違います。関心の
向く先。だから千人いれば千の哲学があるとゆわれる所以です。
問いを問題となせば、まづ語源から。pro-blem 前にー投げ
置かれるもの、つまり解決すべき引っかかりれすね。でも、
問題なのは問題には受験勉強と違って必ずしも答えがあるとは
限らないことれす。いや、むしろ明確な答えが無い方が多い
ですぅ。それに全部分かってしもうたら、つまんなーいぢゃん。
知らないことを知らなけりゃ、それはホントに知らなくて
無いもおんなじ。知らないと気付いたら、それはソクラテスの
「無知の知」。一歩前進、百歩前進。「何故何もないんぢゃ無く
って、かくあるのか?」(ライプニッツの問い) これはホント
に不思議だな? 「今、ここに、わたしが、斯くあること。」
これは確率論では述べれません。無限小。あらゆる偶然の中の
奇跡。ゲシュタルト崩壊の夕べ。
皆が素通りしているとこに引っかかる人。変人。でも問いに
誠実な人。そういう人が僕は好きです。タハッ