10月21日(水)とっても軽い僕の存在を考えて見る夕べ


 こんにちは。秋晴れ。空気がだんだん澄んできましたね。








 この世界の見方について、大きく分けて二通りあるとゆわ
れてます。いわゆる普遍論争ですね。その一つは世界とは
我々が五感で見ている個別具体的なものだけで構成されてい
るという見かたで、もう一つは個別具体の裏に普遍的な変化
しないものが存在するという二世界論ですぅ。











 ギリシャから現代に至るまでこの二つの見方は論争を重ね
て来ました。プラトンイデア論は後者で個別の(例えば
丸い林檎とかボールなど)背景には普遍的な(理想の球体)
ものが存在し個別はその例示展開であるとします。一方
アリストテレスは実際に見えるこの世界しかないんだよとか。











 前者は個別具体を分類整理する概念はあるがそれは実体で
は無く単なる名前だとする唯名論とかいわれ、後者は普遍が
なければ世界は永遠に変転する掴み所の無いものになるので
普遍は実在であーるとする実在論といわれてもす。











 どっちでもいーぢゃん。プ  なんて人が現代日本には多い
かと推測でけまするが、これは神を含めた絶対者の存在を認め
て宗教に発展するか、全ては物質だけの振る舞いであーるとす
唯物論に繋がるので、ホントは等閑にはでけない課題なのれ
すぅ。










 げんに僕だって普段は個別具体に科学的に検証できる物質
世界しかこの世には無いよね。とか思って無神論的に暮らして
ますが、ゲ崩壊した時などは、なんかこの世界を作ってる普遍
的な原理つうものが何処かに隠れてんぢゃねーかな?とか疑問
に襲われまするよ。一人の人間の中でもスプリットされてる程
の根源的な論争なのれすねえ。











 ま、これは生き方にも関係する一つの考え方なので結論つう
ものはありませんが、現代哲学の最先端でもトロープ唯名論
いう両者をコンプロマイズした概念が研究されているとか。
理論物理の最先端でも未だにビッグバンとか物質はなぜ生まれ
たのだとかの理論付けに四苦八苦しているのれすから、我々が
どー考えたって、それは自由だぁ〜










 電源入れて一時間もしないうちに画面がピクつくから今日は
これまで。されば、さらばじゃ。