4月13日(月)そもそもの考え型の壁を考えてみた

 こんにちは。晴れ。街を歩くと新入生の季節って感じ。
幼稚園から大学、社会人まで。不安と期待のミックス顔。






 日曜日の夜には自分のブログを読むのが楽しみだ。何しろ
1週間以前のはすっかり忘れているから、とても面白いのだ。
この一番のマイ読者が居なくなったらブログやめるかも。
これジイかも。いやジサクジエンであるのは間違いない。ぷ








 「自分とは何か。それは意識の流れである。」と言う人も
いる。自分は認識主体であって、その私によって認識される
客体が世界(事物)である。と主客二分した二元論はデカルト
が始まり。西洋思考は何しろ分ける。分けて分けて分かった
つもりになるのが科学であーる。







 然るに、東洋思想は分けるということをしなーい。いわゆる
無分別。無為自然、主客一体、作為や計らいをしないのが良い。
つう事は考えてはダメなのだ。無記の教えとか不立文字とか。
考えると、考える対象ができてしまい主体と客体が生じる。
だから実践のみでホントの自己探求すること。これが禅仏教の
教えだけど、イイ体験をするとそれを書きたくなるのか禅の
典籍は他の仏教より多い気がする。道元さんとか。








 宗教哲学ってあるけど、宗教って体験であり、哲学は説明で
あるから、体験(悟り)を説明(思惟)したとたんに主(説明
する人)と客(説明される経験)に分かれてしまい、主客一体
の悟りの境地は儚くも分解されてしまうのであーる。ムジュン







 それでも一生懸命に説明しようとしてるから、人はそれぞれ
自分の経験に照らして、その幻を追い求めることになる。想像
しているうちが花なのか、はたまたそれは闇なのか。







 「本当の自分」なんてあるのかい?それを分けて分けて主張し
て、分析するのが西洋流。自己を捨てて捨てて最後に残った
ものが真の自己であるとするのが東洋流。どっちがイイかは
お好み次第。







 くどくど考えないで実践のみの方が良さそうですがこれは師弟
相伝で文字には残りません。西洋流は分析してマニュアル化でき
るから誰にでも分り易い。で、悪貨は良貨を駆逐するですか?
科学技術はまぎれもなく西洋流ですからねえ。トホ