2月28日(土)おでんを食いつつ人としての在り方を考えるなり

 こんにちは。寒曇り時折薄晴れ。やや風つおし。
二月は早いですね。あっという間に過ぎ去ってしまう。
明日はレインボウ・ブリッジを徒歩で渡れるらしいよ。







 最近おでんにこってるの。おでんの素をたくさんもら
ったから。大根とじゃが芋を電子レンジでほぐした後おでん
の素を入れたつゆに入れて後はちくわとかコンニャクとか
さつま揚げなんかをぶっ込むだけ。これをビールで食べるの。
じゃが芋が主食かな。時折うで卵もぶっ込む。簡単でよろしい。






 我輩の哲学もギリシャ・ローマから発してようやく近代に
辿り着いたが、この頃になると哲学者がいっぱいいて選り鳥
緑。つうか沢山いて追いきれないのがホンネですぅ。だから
気が合う人しか関心が向きません。最近はメルロくんなんか。
身体の哲学などを現象学を用いて展開してる。しかし独学者
にはどーしても付きまとう筋の悪さが出ますね。独善的に
なり勝ち。自己解釈。しかし更に原書ぢゃなくって翻訳を読
むとまたまた訳者によってイロエロな解釈があるから更に
自己流になりまする。だいたい言葉自体が元の哲人が意図し
たものとは異なるから、ホントに言葉でモノの本質が記述
でけるのかい?つう自己撞着は常に付き纏いますな。






 それでソシュールの記号哲学なんかに向かうのですが、
そこも本質的には自己撞着なんすねぇ。結局、コトバで言葉
を考える訳ですから。それで、この間TVでやってたけど言葉
の起源はなんなのかと。歌から入った文法・文脈が元だい、
つうのと身振りから入った単語が始まりだい!つうのに別れ
てた。歌から入ったのはイルカとかジュウシマツとかの流れ
、身振りから入ったのは類人猿なんかの流れで、決着は着い
てません。






 でも、進化の収斂っつってある目的があればある手段に
収斂するという事はありますから歌案の方がイイかな?と
おもたよ。例えば早く泳ぐための流線型は、哺乳類のイルカ
も魚類のサメも恐竜の魚竜も同じ形になるんだい。だから
彼女に持てたいオスは歌が上手くなるのですぅ。その歌が
文法になって単語が付随して言語になったのだあ。そして
言語が思考を生み、思考が仮想を生み、経験してないことも
経験したように思える能力は、これはタイム・マシーンの
ように時空の束縛を離れて、自由に宇宙を遊べるんだい!
どーだ、まいったか。これが俺のアホバカ理論ですぅ〜








 で、群論オタクの漏れはつぎのターゲットとして構造主義
ポスト構造主義に向かうのはドアホの必然ではなかろうか?
で、レヴィからラカンフーコーつうアホポンタンに付き会
うのも骨が折れるから、手っ取り早く日本のオタクはいねー
かな?内田樹なんてブログ馬鹿だしイイかもしれぬ。アフオ
な考え休むにニタリと苦笑して次の段階に進もうかな。